「奥」の意味について深く考えたことがあっただろうか…
私は今まで「奥」をちゃんと理解できていたのだろうか…
そんな思考の迷宮に迷い込んでしまいそうになっている、私です。
古代日本の智、日本語のヒビキの神秘構造に触れ、日本語の一音一音が特別な意を持つと知った今、向き合うべきは「古事記」なのです。
日本人なら「古事記」の解読に挑むべし!
では、続きへ。
父神:イザナギ命に斬られ(頸を刎ねられ)…殺されし火神:迦具土神の屍から成れる第三の神の登場です~
次に腹に成れる神の名は奥山津見神。
(「古事記」より)
奥山津見神(おくやまつみのかみ)
腹⇒奥この示し重要っぽいぞ
では、この神名に込められた秘密を読み解いてまいりましょう~
これは興味深い…表・入口から中(内)に深く入った処が「奥」なのです。
しかも「心の底」を指したりもするのです。
奥=内奥は、「芸(技・術)や学問を究めたもの」が到達できる領域
そう示されている気がしませんか!?
頭⇒胸⇒腹とだんだん身体を下っていますよね。
「腹=奥(入口から深くはいった処)」だとすると、
頭部に何かしらの「入口」がある
ってことですよね。たぶん「エネルギーの入口」だと思うんですが。
ここにきて私は「奥山」という言葉が歌に詠まれたり、親しまれた言葉だということを思いだしまして…ここまでの「山津見神」の見方が変わってきたのです。
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「正鹿山」「淤縢山」「奥山」というマジで内界(潜象界・虚界)の「ヤマ=八間(八面)」の存在をしめしているんじゃないか、と。
そうしますと、「津見」も「~の見」=「~の霊(ミ)」に見えてくる。
「見」は「見る・見える」という事物を見て存在を認識する観察者(主体側)と見られる事物(客体側)を同時に示す言葉(文字)だと思うのです。
この辺は「八神」出揃ってから全体の関係を考察してゆきましょう。
(つづく)