思わぬところから「繋がり」発見!
古代の智が示す、この世界の「カム×アマ」の構造⇒それが「身体にもあるな」と確信し、カムの力を引き出し使いこなすための「術」を探している私です。
そして辿り着いたのが「合気道の祖・植芝盛平」氏が説く合気の世界なのです。
では、前回のつづきへ。
「先天」に触れ感得した盛平氏がそれを合気道にどのように用い、弟子たちに教えたのか?
盛平の教え方について、塩田剛三がこのように記している。
「今日のように足は何度、目は手の延長を見る、などという具体的指導法ではなく、植芝先生が模範を示され、このように自然と一体となり心技を磨くといわれるだけでした」
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その盛平は「合気の動き」を神楽舞で示したといわれており、中でも「棒をもって舞っていた」ってのは有名な話。
たぶん、この時 盛平氏が手にしていた「棒」は「松竹梅の剣」であり、「天御柱」であり、「零雷矛」のウツシかと思われます。それによって先天との「むすび」が成されやすくなっていたんじゃないかな、と。
たぶん「武産合気」の動きも技も、言葉で細かく「型」を教えるようなものではなく、先天との「むずび」によって、自然と発するものなのでしょう。
神人合一、天地人の合一によって「私」ではない「吾(あ)」が自然と動き出しはじめるんでしょうね。
んで、八卦掌の動きもまた「龍神が天空・水中を泳ぐ姿」から来ていると前回触れ、盛平氏の神楽舞に通じるものを感じるといいましたが、他にもあったのです!
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今日は身体の柔軟性や巡りをよくするために久しぶりに「この本」を読んでいたのです。
そしたら!驚いたことに本編に入る前「序章」の部分にこう書いてあったのです。
(22ページ)
武術は戦場での生命のやりとりを大前提としている。
そしてそれに勝利するには、おのれのエネルギーを支配下におく必要がある。
そんなことを考えると、ハタ・ヨーガの発想をダヌルヴェーダが先取りしているのも当然といえるかもしれません。そういえば、ハタ・ヨーガの開祖ゴーラクシャも、棒術に優れていた、と伝えられています。
この文章が示すことの「凄さ」はこの前後を是非読んでもらわないとわからないと思うのですが、ここので注目してほしいのは「ハタ・ヨーガの開祖も棒術に優れていた」ってところっす。
ハタ・ヨーガの開祖の棒術の動きも「舞い」のようだったのではないかと思うのです。
そして「棒」を使う意味も盛平氏と同じだったのではないか、と。
先天を感得したであろう方々が、こうして「同じ」「共通する」ものを示しているということは それが「真理に通じるもの」であることは間違いないのではないでしょうか。
身体を使いこなすにしても「柔軟性」必要であろうということで、「秘伝マルマ ツボ刺激ヨーガ」を手に「太陽礼拝の体位」のポーズの流れを実践してみております。
(つづく)