プロ独女のライフハックブログ

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【古代日本謎解き】身体覚醒~武産合気:「天の浮橋に立つ」とは?

植芝盛平氏が説く「合気道」は「天の浮橋に立つ」ことからはじまる。

この合気道において「天の浮橋に立つ」とはどういう意味があるのだろうか?

身体のカムアマ構造とカム覚醒スイッチを探して「合気道の祖:植芝盛平」氏が説く世界を覗きこんでいる私です。

 

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界

  • 作者:清水 豊
  • ビイング・ネット・プレス
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ヨーガという言葉の元々の意味が「馬と馬車をつなぐ」であり、そこから「馬に乗って旅する」⇒「天馬の馬車に乗って天上界に神々を迎えに行く」というイメージをもって天上界と繋がる(むすび)ことに通じるようになった、という。

リグ・ヴェーダの祭司詩人は「讃歌」をこの天馬に見立てイメージするそうだよ。

 

このように「讃歌」や「天馬のイメージ」というような「むすび」の物実が合気道にも存在する。存在するというか、そこが「合気のはじまり」なんだそうだ。

平氏は、合気道の動きを神楽舞で弟子たちに見せていたようですが、この時

『神楽舞の始めは、「天の浮橋に立たして」であり…』と語り説いている。

古事記イザナギイザナミ天の浮橋に立った場面を指していると思われる。

 

別天神たちから「地上界の造化の完成」を託されたイザナギイザナミが下界を見下ろす為にたったあの「天の浮橋」っす。

 

”天と地の間に浮かぶ橋”

天と地の間…「空」の領域っぽいっすよね。

 

ここに立つことの重要性を植芝盛平氏はこう表現しております。

合気道は、どうしても『天の浮橋に立たして』の天の浮橋に立たねばなりません。これは一番のもとの親様、大元霊、大神に帰一するために必要なのであります」

古事記と植芝盛平 合気道の神道世界より

 

一番のもとの親神が「御祖神=いざなぎ命・いざなみ命」ではなく、そのもっと奥の大元におられる「大元霊(大源霊・大玄霊)」でることに注目です。

つまり天之御中主神さまが生まれた、その胎(原)たる「エネルギーの海=大元霊」へと帰一することが合気道では必須なのです。そこを為さずして、盛平氏が説く合気道に非ずということですよね。

 

合気道や神楽舞が「一体なんたるか」というと、

「私」⇒「御祖神」⇒「天之御中主神」⇒「主の大神(大元霊)」へと帰一(むすび)成す『物実』として存在している、のだそうです。

 

 

この時「自分を無にして⇒天之御中主神なる⇒大元霊へ」という流れが起きる。

自我を消すことで、まず「空」の領域に立てるってことでしょうね。

この時、私が立っている空の領域が 先天と後天を「むすぶ」⇒天の浮橋に成っているのだそうです。

 

自分を変容させて、自分がいる空間場を変えてくってことのようにも見えますな。

(つづく)

 

 

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