私が追っているのは「身体のカムアマ構造と本来の力の覚醒の鍵」なので、ここからが本編ともいえる。盛平氏が行なっていた稽古とは…
私が身体覚醒の鍵を見つけるために覗き込んでいるのが「合気道の祖・植芝盛平」氏が説く世界です~
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「松竹梅の剣(剣法)」を得たという盛平氏が「その時」どのような稽古を行なていたのか、ここからかなり常識では考えられない世界に入ってゆきますので覚悟をもって先に進みましょう。
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これは、盛平氏が「松竹梅の剣を得た時」のことだそうです…
彼はこの時「幽体との稽古を重ねていた」という。
(‘Д‘)! 幽体と稽古⁉
と、思考で拒否する前に、まー話の続きを聴いてみてください。
深夜1時、2時頃から稽古は始まり、この時
という状況にあり、
「いくら打ち込もうとしても(相手の)中に入れない」のだという。
こうした稽古を盛平氏は続けていた。
この不思議な稽古を続けていくうちに
「相手をぐっとにらむと剣が消えてしまっていた。その時 自分を眺めると姿がない(略)自分の意識はあるのです。木剣を持っている気持ちもある、が木剣はない」という境地を得たのです。
「この境地」を得ることが如何に難しい事か…
でも、人は「この境地」に至ることができるってことは確かだとわかった。
”意識態だけになった”ということなのか、”全一の融合(合一)の境地”に到達したのか?実際に自分で体験しないとわからないことですが、盛平氏がこの稽古で相手にしていたのは「もう一人の自分」であり、自らの分離+融合を経て「木剣」との合一まで至ってしまったわけです。
己の分離+融合を自在にできるようになれば、その先に「全一」の境地がある、
ということではないかと。
そこまで、実際に稽古でもっていけるのですな。
「深夜1~2時」という稽古時間も夜の静寂が「無我=全一」に繋がる一番効率よい時間帯ってことなんでしょうね。深夜は「異界と繋がっている感」ありますもんね。
というか深夜は「ゆらぎが大きく、不安定」故にトンネル効果のような現象を起こしやすいのかな。
この時、盛平氏が得た「境地」こそ、
”自らが天之御中主神となる”境地ではないかと云われております。
つまり「己の心身と天之水のむすびが成された状態」っすな。
(つづく)