なるほど、納得。思い込みの激しい私が水戸黄門の勧善懲悪フィルターや
少女漫画や神が賞賛する愛の世界フィルターを取り払って
現実を再認識作業した結果・・・人間は野生の本能と感情の影響が強いとわかった。
私が思っていたよりもずっと本能的で感情的。
私自身が感情的な判断の連続で生きてきたのに
それを「ただただ現代に生きている」ってだけで
理性的・論理的・倫理的・道徳的と超勘違いしてた!
自分のイタさに七転八倒だぜ~
「論理的に思考する」ってめちゃくちゃエネルギー消費するし、
時間も使うので実際、日常がテンプレート化され慣性の中で
1つ1つの判断はほぼ無意識に過去のコピペで流されていっちゃうからね。
無意識の判断というのは判断のスピードが速いのです。
本能と感情の影響が強く、反射的反応になっていきます。
だから現代のデジタル・ネット時代には、よりいっそう
人の本能・感情を意識してコミュニケーションとる必要があるのです。
野生の本能は何よりも「生存」を優先する
当たり前ですけど
DNAにも刻み込まれているように
生き物は何よりも「生存本能」を最優先に生きています。
生きること
生き残ること
これだけが生きる目的といっても過言ではない。
野生時代はそこらじゅう敵だらけだし
現代でも「外に出れば7人の敵がいる(敵多め)」ですからね。
「自分の命を守ること」=「敵から自分を守ること」が最優先なのです。
敵から自分を守るために
本能的に「自分を脅かす存在は全て追い払い蹴散らします」
その脅威を感じなくなるまで消し去るまで攻撃するか
遥か遠くまで逃げ去ります。
文明を手に入れた現在は「命=プライド」を守ることに必死
私がここまで考えが及んでいなかったんですけど
野生の捕食生存競争からは解放されても
今現在は野生時代守っていた「命」が
「命=プライド」になっているのです。
個人の持つプライドは自尊心であり存在意義なのです。
他人がおかしてはいけない領域。
「プライドが高いのってナルシストでかっこ悪い」
って小さいころのイメージの刷り込みもあって
私のここの理解が浅かった・・・。
プライドは自尊心であり個人の存在意義なので
何があっても、
相手が正しいとか間違っているとかそういった問題と関係かく
絶対に傷つけてはいけないって簡単に理解できる。
どんな状況でも非難・否定・小言は相手のプライドへの攻撃
どんな時でも誰にでも
非難・批判・小言はしてはいけないというのは
それらはどんなに相手が間違っていると思える状況でも
「相手のプライドへの攻撃」になるからなんですな。
野生の本能で言えば
「自分の命を攻撃してきた相手」と認識されてもおかしくない、危険行為。
自分の命を攻撃する敵には
容赦なく反撃して当たり前。
人の自己保存本能を甘く見てはいけない
プライドだけでなく
「自分の幸福を脅かすあらゆるもの」に対して
本能的に追い払い、蹴散らし否定しようとするからね。
- 相手(他人)の好きなモノ
- 相手(他人)が大事にしているモノ
- 相手(他人)が楽しみにしているモノ
- 相手(他人)が頑張っていること
など否定することの危険性がわかりますよね。
大きなリスクしかないぞ!
ということで人間関係を築くのに「非難・批判・否定・小言」は
いっさい不要でむしろ破壊の道具というコトがよくわかりました。
立場の上下も年齢も性別も関係ありません。
自分以外のすべての他人に対して「非難・批判・否定・小言」は
敵をつくることはあっても得は何もありません。
使用禁止!とすることにしよっと。