「運命」って何だと思います?
「運命」って何の意だと思います?
私が尊敬する偉人・賢人・哲人「安岡正篤氏」ってこんな人
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では、本日は「運命」につてのお話へ
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われわれ人間は、不幸にして生まれつき病弱であったらだめであろうか。生まれつき鈍才だったらまただめか。家が貧乏だったら これもだめか。なにかと生活のために多忙だったら、まただめか。
そんなことはその人間次第でどうにでもなることだ。
運命というものがあるが、それは俗人にはわからない。俗衆のいう運命は宿命のことだが、その宿命の中に、立命というものがあることはいうまでもない。
(『人間を磨く』)
我々俗人が「運命」と思っているのは「宿命」のことだそうだ。
では「運命」って何ぞや?
「運命」という字・音のヒビキから己がイメージしたままに 運命はあなたの世界で認識される。
天の定め、宿命にただただ運ばれていくだけの生命になるか?
命に運ばれていくままに、ただ漠然と生きて死ぬ、死ぬまで生きるか?
それとも
自ら「命(一元の分霊として、人生を懸けて成すべきこと)」を立てて、その「命」に向け己を運んでいくか?
この自分の在り方の選択次第で、人生は真逆のものとなる。
ということではないか、と私は理解しました。
たぶん安岡先生は「自らが主体性と創造性をもって生きよ」と背中をド突きまくってくれているんだと思う。
私が私として存在し、「私」を自覚する以上
「私の世界(私が認識している私がある世界)」では
何だかんだ云っても 神意よりも”私の意志”のが影響力強いんじゃなかろうか。
だとしたら「運命を拓く」ことも可能だと思えるよね。
相対的な「有・無」の前に、『絶対無二の存在たる私』を皆持っているんじゃないかね。すべての存在は神(一元・根源)の創造による「オリジナル」だし。
「運命」をどう認識しているかの如くに、
「私が私をどう認識するか(認識しているか)」で
「私」の意味も大きく変わるのでは?
安岡先生はこう言っている。
『人間は本来 天物であり、神秘であり、俗衆にははかり知れないものがある』
自分が己をどう認識するかで本当に世界はガラッと変わるのかも。