人としてどう生きるか、その迷わぬ「道」がここにあった!
私が尊敬する偉人・哲人「安岡正篤氏」ってこんな人
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「迷わず生きる」為に、役立つ教えがここに示されております。
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儒教によれば、われわれの心の根底には、たとえいかなることがあっても屈せず倦まず努力し精進せよという無声の命令が厳乎として存在している。
この自己内面の至上命令に率うのがすなわちわれわれの「道」で、かかる道を明らかにして、われわれはいかに行動すべきか、いかなる心情を持つべきかの自覚をあたえていくのが即ち「教」である。
(『王陽明研究』)
迷わぬ道=正道は「自己の心の奥深部からの無声のヒビキ」が示してくれるというのだ。心の深層部から発せられる「無声の命令」というのは、まさに「天の声:天の命」ではなかろうか?
「教」という字が示すものは、ただ知っていること(知識や情報)を相手に教えることではなく「道を明らかにし、道の進み方(在り方)の自覚を与えること」だというのです。
「教育」の本質もここのありますね。
勉強ができる・できない、知識をどれだけ持っているか、は教育の本質ではないのです。本質を幹だとして、たぶん枝葉でもないはず。
教育の本質に多くの人が気がつき、本質に返った教育が日本に広がることを望む。
大人も先人の智恵に学ぶ姿勢を大事にせねば。
私も「心の深層部から発せられる無声の命令」を聞きたいと強く思うが
どうも雑念が多く その声を捉えることができていない。
自分の心の深層部の声を聞くには、まず己を鎮めなければ…「無心」になった時その響きをかんじられるだろうか。
夜の静寂というのは「心の声」を聴くための時間なのかもしれません。