謙虚さを失うと、自動的に道から外れてしまうようだ。
私が尊敬する「安岡正篤氏」ってこんな人
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今日は「道」における学ぶ姿勢についての話しだよ~
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偉人はみな道において謙虚な弟子となることを悦ぶものである。われわれはそれを忘れてはならない。(『政治家と実践哲学』)
偉人=道を知り、道に入り、謙虚な弟子となることを悦ぶもの
ここでポイントは「よろこぶ=悦ぶ」という字で表現されていること。
- 喜ぶ・歓ぶ(歓喜のよろこび)
- 悦ぶ(満足して よろこぶ)
偉人はみな道において謙虚な弟子となることに満足し心満たされている
ってことですかね。
一瞬にわく歓喜とかではなく、じんわりと常に心が満たされているわけかぁ。
「謙虚な弟子として道を進む」ことに心充たされる悦びがあるのでしょう。
謙虚な弟子=己の小さきを知る者
ということだろうか。
素直に学ぶ姿勢と聞く耳をもつということに通じるし、
謙虚な弟子であることで「万物(万象)を師」として学べるということなのかも。
謙虚さは本当に「美徳」なのですね。
謙虚さを失った時、学びも止まる。
(つづく)