トートと同じこと言ってる!
カタカムナの示しに重なる!
本日はかなり核心に迫る話となっております。
その前に、私が尊敬する安岡先生ってこんな人やで~
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では、本日は「天命=天が人に与えた使命」について
安岡先生が語る言葉から、あなたは何を受けとりますか?
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人は常に己を虚しうして造化に参わらねばならぬ。
試みに進化論によって生物発展の迹を探ねても、哲学によって認識の理法を考えても、宇宙人生は自己を実現しようとする絶対者の努力であり、森羅万象ひとしくその顕現にほかならないことは明らかである。
故にこの絶対者の努力を「造化」という。
(「東洋理論概論」)
「造化」=自己を実現しようとする絶対者の努力
つまり、絶対者とは「一なる者」、「はじまりの一者」なわけです。
森羅万象、この宇宙の万物万象すべてはその絶対者の自己実現努力の顕現なのだと。
トートやカタカムナが示すことと同じやないか~
哲学でも科学でも どの道から進んでも結局は此処に辿り着くのでしょう。
安岡先生もそう言ってますし。
我々が天より与えられし命、つまり天命とは
絶対者の努力=造化(創造活動)に己を虚しうして参わる(まじわる)ことだ、
と安岡先生は説く。
『己を虚しうして』というのは無我の境地で、絶対者たる「一なる者」と一体となることを示唆しているんだと私は解釈しました。
この絶対者と己(私)がヒトツになることについて
この話の後半がヒントになると思われます。
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安岡先生の話しの続きをどうぞ
森羅万象のなかにこの造化をもっと端的霊妙に現すものは「人」である。
造化は人を通じて心を発いた(ひらいた)。心は人の心であると同時に、造化の心であって、造化は心によって自ら「玄」より「明」に化し、人は造化の一物に過ぎずして、而もこの心によって、またそのままに造化なのである。人がもの思うのは即ち造化がもの思うにほかならない。
(「東洋倫理概論」)
造化=造化三神は私の心を通して、私と一つだというのです。
天之御中主神の御心と高御産霊神・神御産霊神の神霊力が私の内で繋がっており一体なんだ、と。
”造化は『心』によって「玄」から「明」に化し、”
これはまさにトートが大深淵でみた暗黒の原始海(ヌン)に芽生えた光の華(カム意)ではないか!? 無限のエネルギー海に「創造の意志」が芽生えそれが闇を照らす光になったわけかぁ…
心ってのは「〇」に発生した「意識の”・”」なんだね。
だから「一」「一なる者」は各地の古代文明で こう表現されるのね。
神聖幾何学や古代文明が示す「中央の・」はカムに芽生えた「意識・意志=心」だったのですな、それが「ハジマリの一点」であり「一なる者」なのだ。
今回の安岡先生のお言葉はかなり重要で、この世の真理に迫るものだと思う。
あなたは何を受けとりましたか?
(つづく)