1900年代初頭から怒涛の展開続きだったんですな。
凄くない? 毎年毎年「大発見」みたいな…マジ⁇
縄文の数学+カムの生成原理と物実の関係に迫る前に、古代の智をより理解できるように、現代科学の智恵をお借りしようと「量子論の世界」に寄り道中の私です。
無知な私に優しく「量子論の世界」を案内してくれる1冊
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よし、では前回からの続きへGO~!
電子の本当の姿を求めて、大きな動きがあったよ~
シュレーディンガー方程式や波動関数の確率解釈が発表された翌年
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1927年
アメリカの物理学者デヴィッソンとガーマーは
”電子が確かに波としての性質(波動性)を持つことを実験で確認した”
2人がどんな実験を行っていたかというと、
『ニッケルの結晶構造を調べる為、ニッケルの表面に電子のビームを斜めに当て、それが反射する様子を観察していた』とのこと。
実験の目的は「ニッケルの結晶構造を調べる為」のものだったのね(^^;
この時の反射の様子を観察した結果
反射した電子ビームが「干渉」現象を起こすことを発見したのです。
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ニッケルの表面に電子ビームを当てると
- ニッケル原子の結晶の第一層で反射するものや
- ニッケル原子の結晶の第二層で反射するものが現れる
この2つの反射ビームが重なる時、波の山や谷の重なり具合により
- ある時は波の振幅が強くなったり、
- またある時は波の振幅が打ち消さりたりする
波の干渉現象が起こり
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- 反射した電子が多数観測されたり
- 反射した電子がほとんど観測されなかったりと
「電子ビームが強まったり、弱まったりする」ことを観察実験から見出したのです。
これが「電子が確かに波の性質を持つという大発見」になったんですって。
なんか、言いたい事はわかるですが私は混乱していた。
そもそも電子の波って「物質波」なんですよね?
物質は皆、物質波を出しているわけですよね。
電子は超極微の存在(粒子性と質量をもつ)だから通常時は「物質波」の性質が強いだけで…観測したり取り出すと1つの塊状(粒子)に見えるってだけじゃないのか?
物質波の存在がこの時はまだ「仮説」くらいの認められ度だったのか?
物質波が認められてたなら、電子の波の性質をわざわざ疑う必要もないわけだし…
何か力を加えて「電子」の姿を見ようとしても
それって「力が加わった電子の状態」であって
いつまでたっても「ありのままの電子」は見えないのかもしれませんね。
アクァッホスレでムーア人や太陽人が言っていたように…。
とちあえず、素直に受け止め、先に進む~。