よし、ボーアや彼のもとで研究に励む若き物理学者たちが考えた
観測による電子の波の変化を見ていこう~
無知な私に量子論の世界を優しく案内してくれる良書
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ボーアたちがシュレーディンガー方程式や波動関数Ψの確率解釈を取り入れ
たどりついた考えがこちら
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①我々が電子を観測すると電子の波は収縮する
②我々が見ていない時だけ、電子は波のように広がっている
この時、電子は重ね合わせの状態にあるとみなされる
※シュレーディンガー方程式による電子の波の広がり
(実数部分だけ or 虚数部分だけ を取り出し図示したもの)
この時、電子の波は「ある場所にいる状態」が複数重ね合わさっているとする。
1個の電子(同一電子)の中で「a」「b」「d」+(他)にいる状態が重なりあって共存してる、
と考えるんだって。
今回は特に①の方を深掘りしていくよ~
「観測」がどの様に電子の波に作用しているか?イメージを掴んでいこう~
私たちが観測していない時、電子の波は広がっている。
(シュレーディンガー方程式でその広がり具合は計算できる)
横軸は「場の広がり=電子の波の広がり」を示し、
振幅は波動関数の大きさを示しているんやで~
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ここで「我々が電子を観測すると」
”電子の波は1点に収縮して、どこか1点で発見される”
電子がどの位置に収縮するか=発見される場所は確率的に決まる
(その確率=波動関数の確率解釈を用いる)
観測によって波のように広がっていたモノが一瞬でギュッと凝縮するのかぁ
だから発見される時はいつも電子は1粒1粒で数えられる粒子状なのね・
やっぱり、「エネルギーの状態」の違いじゃないのかいらね?
観測によって電子に干渉したモノは何なのか?
観測の実験器具から放たれる「電気(場)・磁気(場)」などの外圧なのか
そこに観測者の視線(電子に向けられた意識)も含まれているのか?
原子核の「中性子=意識(感情)」「陽子=意志」だと波動の法則では説いているが
そうだとしたら意識と意志に従って現象化を起こすモジュラーコーディネーターである電子が「より強い意識」に干渉され変化したとしてもおかしくはないか。
ちなみに、『電子の位置が確率的に決まる』っていうのは
電子がいる位置は既に一カ所に決まっているが
私たちにはその場所が確率的にしか推測できないって意味じゃないのでご注意を!
電子の位置は神が振るサイコロのように確率的に決定される
ってボーアたちは考えたということよ~
私は神じゃなくて、電子により強い力で作用する「中性子(意識)」「陽子(意志)」の影響+電子の意志(合意)で決まると思っている。
ここまで来て、電子の本質はどの状態にあると思いますか?
私は「観測されていない状態」の電子の方が真の姿だと思うんですけどね~
観測するために何らかの圧を加えてしまっては本来の姿ではないだろうし、
粒子状ってのもまた複素数の波を一方向から切り取ったものなんですかね?
(つづく)