葦原中津国は未完成だったのか…
古代日本の智の探求にはまり、日本語のヒビキの神秘構造に魅せられ、今は「古事記」の解読に励んでおります、私です。
では、解読の続きへ
しかして殿の縢戸より出で向かへたまふ時に伊耶那岐命語りて詔りまはく、「愛しき我がなに妹の命、吾と汝と作れる国、いまだ作りをへず。故、還るべし」とのりたまふ。
(「古事記」より)
伊耶那美命を追いかけ黄泉の国に向かった伊耶那岐命が去った妻に投げかけた言葉をよ~くお聞きください。
『愛しき(うつくしき)我(あ)がなに妹(も)の命、吾(あれ)と汝(な)と作れる国、いまだ作り竟(を)へず。故(かれ)、還る(かへる)べし』
⇓
【現代語訳】
「愛おしい(いとおしい)我が妻の命よ、自分とお前とで作った国はまだ作り終っていない。だから還ってきてほしい」
未完成やないか!?
まだ計画半ばやないか!!
だから地上界・人間界はこんなにも不調和で不協和音が響いてる状態なんか(‘Д‘)
私からも伊耶那美命にお願いしたい、『還ってきて~!!』
別天の計画通りにことは進んでいるかもしれませんが、イザナギ・イザナミの二神は自分たちなりの「完成図(国造り構想)」をもっておられたようですな。
御二人(二柱の神)が目指した「完成」の状態の国を見てみたかった。。。
うん、でもな、「言霊百神」を読んで私は気づいた。
ここのイザナギ命の詞の核は「我」と「吾」の使い方にある、と。
あなたは自分の事を表現する時の「我」と「吾」の違いを意識しているでしょうか?
イザナギ命が自身のことを「我」と「吾」という時、そこにどんな違いがあると思いますか?
今後超重要なヒビキ(言葉の音)になるので、是非とも「この3つ」の関係をよ~く考察してみてね~
「吾(あ)」「我(あ)」「汝(な)」
ヒント:主体、客体、自他
では、また~(つづく)