「ここ」が世界が大きく変わる「大変動の機」だったんじゃないかと思えてきた。
古代の智を追って「古代日本の智」の奥深い世界にはまりこんで、日本語のヒビキの神秘構造に触れ、やっと「古事記の解読」に挑み始めた私です。
私はここで「ある事」に気が付いた。
それはエメラルド板でトートが語っていた「ウナルの住者の怒り」に通じるってことなのです。
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故 尓して伊耶那岐命 詔りたまはく、
「愛しき我がなに妹の命を 子の一木に易へむと謂ふや」とのりたまふ。
御枕方へ匍匐ひ 御足方へ匍匐ひて 哭きたまふ時に御涙に成れる神は、香山の畝尾の木本に坐す、名は泣沢女神。
(「古事記」より)
この太字部分にご注目ください。
大火傷を負い病床で横になっているイザナミ命の「御枕の方へ」⇔「御足の方へ」とイザナギ命が腹這い(匍匐・ほふく)でのたうちまわっているのです。
この状況って「柱」である神が倒れた状態に思えませんか?
しかもイザナギ命・イザナミ命はこの世界の創造を完成させるために使わされた「この世界の支柱(芯柱)」ともいえる二柱の神なのです。
「柱」というのですから「立っている」ことが重要なのです。
この世界の創造の支柱に柱がここで「横」に倒れ、一柱は神避り(かむさり)の状態となり、もう一柱の方は泣き叫び匍匐ひ転がっているのです…これはヤバい状況じゃないっすか⁉
私はこの部分を読んでいて ふと、トートがエメラルド板で語っていた『この世界の歴史』の中にあった「ウナルの住者の怒り」により起きたポールシフトによる地殻大変動と大洪水を思いだしたのです。
んで、これがウナルの住者の怒りを示した記述ではないにしても、
ここで「この世界が一度大きく変わったんだな」と思うようになったのです。
そもそもの神の造化計画から大きく「変換」されたんだな、と。
そのきっかけは「御祖神」とか「地球の主」の「激しい感情の揺れ」であり、古事記でもエメラルド板でも「激しい怒り」が地球やこの現象界の有様を一変する作用をもたらすとの示しは非常に重要なことなんじゃないでしょうか。
激しい怒り⇒大地震
激しい悲しみ⇒大洪水
これが神の感情にかぎったことではなく、すべては「相似象」なのだとしたら我々の感情にも同じような作用が小なりともあるのではないでしょうか。
天変地異や地殻大変動を起こす神の激情の力は、我々だと「自分から見えてる世界を一変させる」くらいの作用はあるんじゃないかしらね。
ちなみに「言霊百神」では、この「神避け」~「夫婦の離婚宣言」までのところをもって「対称性の破れの起こり」と説いておりました。
(つづく)