伊耶那岐命の名も変った!
「古代の智」に惹かれ、「古代日本の智」にはまり、「日本語のヒビキの神秘構造」に触れ、今は「古事記の解読」へ。
日本人なら古代からの日本の智を追うべし、きっと日本人であることへの喜びと誇らしい気持ちがこみ上げてきますぞっ
では、解読の続きへ
是を以ち、伊耶那伎大神詔りたまはく、「吾は伊那志許米 志許米岐 穢き国に致りて在りけり。故 吾は御身の禊為む」とのりたまひて、つくしの日向の橘の小門の阿波岐原に到り坐して、禊ぎ祓へたまふ。
(「古事記」より)
ここでイザナギ命の神名も「大神」名へ変わっている。
しかも「イザナギ(岐)⇒イザナキ(伎)」と音も字も変っている。
「伊耶那伎大神」の出現
私は「ここ」が ”新たな生成・現アマ界の造化法則のはじまり” 処(起点)だと思うております。
では この神名が示すものを読み解いてまいりましょう。
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「神聖な・私欲・私心(一人の考え・想い」
⇒どんな私欲・私心かというと「那=美しい国を成す」という一人神となったイザナギ命の想い
この「伊・耶・那」を成す「伎の大神」なのです。
イザナキ大神が司る「伎」というのは、この世界(アマ現象界)を美しく織り上げる「自動システム」といえるような、「この世界の法則・秩序」のことじゃないか、と。
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「岐」が示すように「分岐」とそこからの「呼応」による生成(イザナギ・イザナミの夫婦神の呼応・協力)から…「伎」の大神による「自動生成化育システム」の創造へ舵がきられたのではないか、と。
まーそんでなんすけど、私は「伊耶那伎大神」のことを「言霊の御祖神」と推測しております。
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静かだった「生成の水(水面)」に「波・ナミ」がたってきたやろ。
「鳴き」=ヒビキが生まれているやろ。
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「な・き=字・伎」
ヒビキ(音)の外に「字の伎」も示されており
それは「言語・言葉=法則性ある音・字」の出現を示唆してるんやなかろうか。
(つづく)