「愛しき我がなに妹の命を」という表現が気になりまして、、、
イザナギの悲しみ嘆く気持ちはよくわかる。
ですが「愛しき(いとしき)」とかいて、「うつくしき」と読むことに引っかかりまして…つーか実際は逆で、「うつくしき」という言葉・音のヒビキに後から「愛しき」という意味示す漢字が当てられているわけです。
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日本人なんら「古事記」の解読に挑むべし。
日本人の血がきっと古事記が示す深い世界に導いてくれますよ。
では、「神避り編」の中でも父子の因縁深き「火神斬り」の場面へ進んでまいります。
たぶん、めっちゃ重要な示しがギュッとつまった場面だと思われます。
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故、しかして伊耶那岐命 詔たまはく、
「愛しき我がなに妹の命を、子の一木に易へむと謂ふや」とのりたまふ。
御枕方に匍匐ひ 御足方へ匍匐ひて哭きたまふ時に 御涙に成れる神は、香山の畝尾の木本に坐す、名は泣沢女神。
(「古事記」より)
今回はイザナギ命が発した言葉の前半部分
『愛しき(うつくしき)我(あ)がなに妹の命を』を解読してまいります。
この「我がなに妹の命」の「なに」は「あなにやし」の「なに」だそうです。
「なんと(あ)すばらしい(なに)」って感じの讃美の言葉・表現です。
「愛しき(いとしき)」とかいて「うつくしき」と読むのではなく、先にイザナギ命の「うつくしき」という言葉のヒビキ(音)があって、そこに「愛しき」という字が当てられ意味を補足しているので、「うつくしき」という言葉の本質を探ってみようと思います。
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そこで、私に見えてきたのはこんなイメージだったのです。
「ウ声」「ウ音」の本質が見えてきた気がしませんか?
「美しい」という言葉が示すのが「調和の美」ということなので、愛(讃美・認め合う)ことから「完全調和の美のヒビキ」へと繋がっていくんでしょうね。
(つづく)