プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古事記を読む】美斗能麻具合~男唱女和の常理

美斗能麻具合にはきちんとした「条理(筋道・道理・法則)」があるようで…

そこを少しでも曲げてしまうと「よくない」らしい。

カタカムナで日本語のヒビキに秘められし神秘構造に触れ、そのウタが示す内容にも非常に興味を引かれ、カタカムナの解読2周目に入る前に「古事記の解読」に挑んでいる私です。

日本人は「日本語」を真に使いこなせるようになるだけでもの凄い叡智に触れられると思う、今日この頃っす。(マジでそう思っております)

その為には「古事記」に記されている事・そこに使われている「言葉」を理解し自分の内にとり込まねばなりません。

古事記が禁書とされてしまう前に、是非とも今のうちに古事記に触れ「古の日本の智」に触れておきましょう☆

 

では、解読の続きへ

おのもおのも言い竟へし後、其の妹に告げて曰りたまはく、「女人まづ言へるは不良し」とのりたまふ。

(「古事記」より)

 

日本語は「音のヒビキ」が先に在り、重要なので「読み音」を確認

”おのもおのも言い竟(を)へし後、其の妹(いも)に告げて曰(の)りたまはく、「女人(をみな)まづ言へるは不良し(さがなし)」とのりたまふ。”

(意味:お互いに言葉を掛け合った後、イザナギ命は妻・イザナミ命に告げておっしゃっるには、「女人が先に言葉を揚げるのは不吉だ」と)

 

古語「さがなし」=性無し(性質がよくない、手に負えない・言うことをきかない、口が悪い・くちやかましい)

その「語感」は、”その性質の悪さがありありとして嫌な感じ”だそうです。

 

どうやらイザナギ命のほうがアマ界(この世=生命・現象世界)に於ける「理」について精通しているようで、「女唱→男和(女が先に唱え、男が応える)」という行いに「嫌な予感」を感じているようなのです。

 

この部分を「男尊女卑」と捉えてるのは浅はかで、二柱の生成祖神は「一組の男女神」というイメージしやすい姿で描かれていますが、その本質は「生成の対なる渦の力」ですから、その力の関わり方がとても重要なのです。

 

例えば正反に同量の力がカカワリ合えば、「+1-1=0(零)」になって何も生成はされないどころか、生成の力の渦が消えてしまいますよね。

しかも、2柱の神の力は複雑で各々に天之御柱を廻り合う中で得た渦の力は、私予想ではこんな感じです。

この四相の力をもって万物の生成が行なわれるわけです。

となりますと、「何を生成するか」を決め導く「先行する力」の存在が必要になってきますよね。「方向性を決める力」といってもいい。

それが「イザナギ命」であり「男’(をとこ)=男性の生成(造化)力」だということです。

そう、イザナギ命の「女人まづ言へるは不良し」という言葉の真意は、

”男唱女和の常理(条理)に反しており、良くない気がする”ということなのです。

 

「男=を登古」「乙女=を登賣」と声を掛け合っていたことを考えると、

男唱女和=「古」唱→「賣」和

(共通部分 を登 を省略しシンプルに考察)

 

ここでまた私φ(..)メモメモなのですが「古」の意味・語源を色々しらべ大事な示しを発見!それを足して考えると「古=遠い過去・遠い前の時代の情報・記憶」ということになるので…

”「古唱」=古からの情報・記憶(DNAや神の意図)を生命核として、それが発する響きに→応え「賣和」=「物(生命・現象)⇔エネルギー」の変遷・循環が起こる”

ということなのだと思われます。

 

この対なる力の生成の条理(常理)に反した時、どのような結果を招くかというと…

(つづく)

 

 

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