プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古事記を読む】国生み編~美斗能麻具波比:廻り逢ひて

「巡り逢う」このことがとても重要なのです。

カタカムナや古代日本語(神代文字上代語・古代の歌)に触れ、日本語の音のヒビキと構造にもの凄く「緻密な計算と知恵が練り込まれている」ことを知り、今やっと「古事記」に挑み始めた私です。

 

では、古事記解読の続きへ

伊耶那岐命 詔りたまはく、「然あらば吾と汝と、是の天之御柱を行き廻り逢ひて、見美斗能麻具波比為む」とのりたまひき。

(「古事記」より)

 

伊耶那岐命造化三神の命を受け、成す為に働く神は命・みこと)の言葉に注目!

「然(しか)あらば 吾(あ)と汝(な)と、是(こ)の天之御柱(あめのみはしら)を行き廻り逢ひて、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)為(せ)む」

 

  • 吾=伊耶那岐命
  • 汝=妹 伊耶那美命
  • 天之御柱=天上世界と同質の聖なる御柱
  • みとのまぐはひ=結婚

 

イザナギ命からイザナミ命への「みとのまぐはひ」のお誘いの言葉です。

「みとのまぐはひ」=二神の結婚・男女の交わりという認識が一般的です。

んで、注目してほしいのはその「みとのまぐはひ」を成すための手順というか行動にあるのです。

イザナギイザナミが「むすばれる」には天之御柱を(お互いに逆方向に)廻り巡り、柱の向こう側で再び「めぐり逢う」ことが必要なのです。

 

逆の景色を見ながら 進んだ先で「むすび」が成されるのです。

その柱をひとり廻る時に見る景色や経験(感じた事)が相手にとっては「未知」の事となり、そこに「差異」が生まれ、その差異が引き合う「引力」を生むのかもしれません。

 

私はイザナギイザナミはそれぞれに生成の力の象徴だと思っており、その生成の力が聖なる柱を廻り往く時、力の渦(渦の力)が生まれると解釈しております。

 

「巡り逢う」とは、それぞれに異なる景色・経験を経て出逢った者同士は「未知」の引力によって自然と引かれ合い、その「自分との違い」に惹かれ逢うってことなのかもしれません。

 

(つづく)

 

 

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