旅の終わりが近づいてきたよ(;;)
なんだか卒業式の日の最後の担任先生の挨拶みたいな展開に…
トートが示す「汝=エメラルド板を読む者」ならば
私もトートと繋がったと思ってOK?
私は自分が思っていた以上に「下なるも上なる」という言葉が重要な示しであることに気が付いた…もしかして「ヤタノカガミ」も同じことを示していたりするのか??
私たちが現象を見て認識しているものはすべて本質の反転かもしれない…
本質的な「価値」も我々が下だと思っているモノが本当は上なるもので
「外」に在ると思っているモノも実は「内」に在ったり
天にあると思い空を見上げていたら、その天界は地中(地球の内奥)だったり。。
更にトートの送別のことばは続く(;;)
『わが子らよ、真に汝らは兄弟とならん』
『かくして われ 我が著述を終える。これを我が後に来りし者への鍵とする、されど我が智恵を求める人にのみのものなり。』
『なぜならば、神秘・真理の智恵を求める人にのみ われは鍵であり道であるが故なり』
鍵であり道である…道教でも古神道でも 私の心に響く教え・導きの師たちは皆「道」の重要性を説いている。
人生とはまずは「往く道」を決める処から始まるのかもしれない。
流されて誰かの物語(支配世界)の中のエネルギー補充要員(養分)になるか
光や神に至る道を進むか、それは自分で決められるのですな。
トートの壮大で偉大な導きはここで終わります。
私はトートが示してくれた道は古神道が示す「道」と通じていると思っていますが
この先、ひとりでこの道を進む為の「道を照らす新たな師」を見つけました。
それが 安岡正篤氏なのですが、これは「日本好き・日本人の血が騒ぐ」にもつながる新たな道として ここに綴ってゆきます。
トートと私の旅・一旦終わり。