何!? ミクロの物質については分岐後に再統合の可能性があるだと⁉
(なんでミクロの物質限定なのさ~)
古代日本の智恵の理解を深めるために、今の科学の智恵を借りようと「量子論の世界」に寄り道中の私です。
無知な私に「量子論の世界」を優しく案内してくれる1冊
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量子論→多世界解釈で「電子のダブルスリット実験」を見ていくと
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世界分岐後に再び「電子が重なり合う」ってことが起きているのだ。
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この時、「再び出会って重なり合った電子」というのは
- 右のスリットを通った過去
- 左のスリットを通った過去
という、2つの異なる過去を持つことになるという。
それ故に左右のスリットを通った事を意味する干渉縞がスクリーンに現れるというのだ。なんだか綺麗に説明がついたようで、どうもスッキリせんのです。
だって、「我々のいる宇宙」で見た時には、枝分かれした他の宇宙にいる「私」とは出会うことも干渉することも覗くこともできないっていってたじゃん、ね~。
なんで「ミクロの物質限定で再会+再重合があり得る」のか??
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多世界解釈によると
結果的にまったく同じ状態になる場合に限り、二つの世界に分かれた物質が再び重なって「異なる過去」が干渉状態を引き起こすことになる
ということなんだそうです(?-?)
一度、分かれて別世界になったのに「まったく同じ状態になる」ってどういう規定なの?「まったく同じ」って世界が既に「異」なっているわけでしょ⁇
解説を聞くに、こういうことらしい(私はまだ納得できていない)
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電子が通ったスリット(経路)が違うだけで、電子銃から発射された電子がスクリーンに届いたという点でまったく同一の状態になる、との解釈らしいのです。(は⁇)
なにこれ!「世界分岐ゴムひも理論」と同じじゃね。
違うの⁇
ここで観測装置を使った場合、
- 右スリットを通た電子→光子と右側スリット付近で衝突
- 左スリットを通た電子→光子と左側スリット付近で衝突
という風に「途中でそれぞれ異なる状態を引き起こす為に」結果的にまったく同じ状態にはならない。故にスクリーンに干渉縞は現れない、というんですな。
(ムム、なんか納得できそうで、スッキリとはせん説明やな)
「シュレーディンガーの猫」の場合
猫の「生・死」に関して状態が分かれているので、生死を超えて再びまったく同じ状態で出会うことも重なることもないから「猫の中で干渉は起きない」んですって。
何で再会+再重合が「ミクロの物質に限って」なのかというと
私たちが日常目にしている現象については、
「途中で周囲に何の影響も与えず、痕跡も残さず、結果だけが完璧に同じ状態になる」ことは不可能であるといえる。
そのために枝分れした2つの状態(世界)は二度と重なることがなく、お互いに無関係に進行していくのです。
だそうです。
(‘~‘)う~ん、本当かなぁ。
分かれているのは「世界」なのか「物質の状態」なのか…
ミクロの物質に限るにしても、物質の状態が全く同じなら「再会+再重合」が可能ってことは「物質ありきで世界は可変する」ってことになりませんかね⁇
例えば、マクロな物質である「私」ですが、どの世界にどれだけ分岐しても「死」という状態をむかえた時は再会+再統合される可能性あるんじゃないだろうか、この解釈だと。
「スクリーンに届いた」というけっこう大雑把な結果が「まったく同じ状態」と判定されるなら、人も死によって大統合されそうだよね。