この世界の「響き=ヒビキ」と「言霊」×気体のむすびまで話が進んできましたので~
更に「天の響き」と「言霊」を聴くということはどういうことなのか?と深掘りしていく~
カタカムナ、日本語の神秘、更にはエメラルド板でトートが語っていた内容にも通じることを「肉体」に隠されし神秘構造から探ってみている、私です。
私にカム界と肉体を「むすぶ」鍵を与えてくれたのが「合気道の祖・植芝盛平」氏が見た世界なのです。
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では、「気体のむすび」によって感得・知ることができる「この世界の響き」の続きへ
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空海は「この世界(自然)は響きに溢れ、五大に響き有り、十界に言葉を具し、六塵はことごとく文字である」と感得したように、この世界を生成化育している「響き」というのは「天の言葉」であり「神意の言葉」だ、ということだろう。
一元(造化)との「気体のむすび」が成されることによって、一元・天・神の言葉を聞くばかりでなく、自ら発することもできるようになるのです。
古事記や日本神話では神のことを「~命(みこと)」と表してますよね。
古事記に置いてはイザナギ・イザナミが出現された時には「イザナギ神・イザナミ神」と示され、この二柱の神が造化三神より命(めい)を受け 天地固めをはじめると「イザナミギ命・イザナミ命」と表現されているのです。
神の命(メイ)に生きるモノを「命(みこと)」という風に捉えられますが、更にもう一つ重要な示しが込められているのです。
「命・みこと」という表現には「御言・尊い言葉を発するもの」という意が込められています。故に一元との「気体のむすび」を成し、その響き=言葉を聞き、理解し、その言葉を代弁する者となる可能性が高いわけです。
つまり、植芝盛平が「むすび合気」で目指す「気体のむすび」というのは、古神道でいうところの「鎮魂⇒帰神」と同じではないかとうことなのです。
帰神=神降ろしによって「神意」を聴くことや、自動書記で神(天)の言葉を書き綴ることとも「気体のむすび」によってなされているのではないでしょうか。
精神面と肉体面のどちらから進んでも、やはり到達点は同じようです。
(つづく)