その解釈は実に興味深いものがあるのです。
カタカムナ→古事記(日本神話)→潜象界の力>現象界の力→意識と同等に肉体にも潜在覚醒の力があり、正しい肉体活用術があるんじゃないか?と思い
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身体覚醒・身体の正しき活用術を知るために
合気道の祖・植芝盛平氏の「むすび合気」の世界を覗いております。
今回は「言霊」に関する盛平氏の興味深い見解を
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こちらの『武産合気』に
「言霊は声とは違う」とある、のだそうです。
ただ声にして発せられた言葉すべてに「言霊」の霊力があるわけでない、、のはなんとなく理解できる。
しかし、どうやら盛平氏の言う「言霊」は神霊力だけに「虚の世界」に関係するものであることを示唆している、というのだ!!
言葉が「言霊」の霊力を発揮する条件とは何なんでしょうか?
『はじめに言葉があった』とされるように、この世界(現象界)は神の言葉から始まっていますよね、神の言葉には現象化・生成の力があり、これが言霊の霊力だとすると…
人が天地と繋がり「天人合一」となった時に、人が発する「言葉」に言霊の神霊力が宿り現象に作用するということなのでしょうか?
でも盛平氏は「声」は関係ないとしている、何故か?
言霊が「虚界の領域」にあるのだとすると
心の中で言葉が明確になった時=意図が明確に表現された時に
言葉は言霊を持つということではなかろうか?
意図・信念・強い想念が「形を成す」形状化したものが「言葉」であり、
だからこそ「その言葉」には「霊魂・霊力」が宿るということじゃないだろうか。
「言葉」は神と人の「造化」の始まりなんだ!
「形成す」ハジマリ、最初に「虚から実へ」形状化したモノが「言葉」だったのか~
なんか、私的にはスッキリできた感じっす。
(つづく)