三元のむすびの仕上げにあるのは…
「カタカムナ」の示しと深いつながりがありました。
カタカムナ・古事記・日本語の音のヒビキ、これらの謎解きの中で「肉体にもカムアマの力をうまく使いこなす”正しき使い方”あるんじゃね?」と思ったことをきっかけに、
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合気道の祖・植芝盛平氏の「むすび合気(武産合気)」の世界に入り込んでしまった私です。
シュタイナーと植芝盛平が神秘体験で得たものは同じだったのか?
シュタイナーは「アカシックレコード(アカシャ年代記)」にアクセスできたようですが、盛平氏の場合はどちらかというと「一元との融合(合一)体験」により一元の内側からこれまでを見てのはないか、と私は考えております。
どちらにしても、三元のむすびの根幹を成す「気体をひらく=気体のむすび」を得るためには「造化(一元の造化)」と自分の魂の緒をむすぶ必要があるわけです。
魂の緒=魂の世界に繋がる緒(へその緒)
”三元のむすび”を完成させるために「魂の緒」を研ぎ澄ます=三元の修業
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これが何を意味しているかいうと、トートがいう「束縛からの解脱」「魂の解放」に近いんですよね。
時間と場(空間)を超越した永遠なる世界=根源の世界(一元・造化)と「むすび」を持つことが三元の修業の仕上げとなるそうです。
(壮大な話になってきた~でも、そうじゃないかと思ってた~という心境の私です)
盛平氏は、三元の修業について「こう」語っております。
「大神の御姿に神習うて 人一人の姿の各部の気の稽古をして、表裏のない魂の実在のひれぶり、その霊のひびきを明らかにし(略)気の稽古をすべきである」
古神道が示す「神への道」と「合気の道」が完全に繋がった。
(「むすび」を根底におくわけだから、まー最初から繋がってたか)
「神ながら=惟神」に己を統合する(合一)。
その為には「各部の気の稽古(気のむすび)」を積み重ねていくことだ、って教えてくれてますよね!?
気の稽古→魂のひれぶり
これが、盛平が示した「合気道の三元の修業」の道筋です。
更に、この修業の目的(到達点)は「ひびきの呼応の感得にある」と説いているのです。
- 天地のヒビキの呼応
- 天と人のヒビキの呼応
- 自然と人のヒビキの呼応
- 造化のヒビキの呼応(神の息吹)
「この世界そのもの」のヒビキと呼吸を合わせ調和(融合)せよ、ということだろう。
「この世界そのもの」のヒビキを感得できたら、自然と私の魂も共鳴の振動をはじまるのかもしれない。トートも同じようなこといてたよなぁ…
エメラルド板のトートはマジで本物の「智恵の神・トート」なのかも。
(つづく)