「原質」…そのものを組成する根本の要素
人格の原質の「要諦」とは⁇
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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人格とは”練りあげてゆくもの”という認識だった私です。
人格というのは後天の影響が大きく、己の内側世界と外界からの影響によって複雑にそして固く練り結ばれてゆくものなのなぁ、と思ってた。
しかし、今回 安岡先生の言葉や考えに触れ、外界(自分を取巻く世界・環境)からの影響を己の人格に練り入れることは「外(社会)からの洗脳」じゃねぇか!?
人格を練るとは「私事」で、私が主となって天・道・理(この世の真理)を知り自ら黙々と盛り上げてゆくもんなんだ、と気づかされました。
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そんな安岡先生の言葉をどうぞ、
人格の原質といくべき第一は気力、肉体的・精神的な力である。これは案外見てくれの身長や肉づき、外見的な体格、言語、動作に表れている向こう意気というものではない。むしろそういう点では振るわない、もの静かなふうであっても、事にあたると粘り強い、迫力や実行力に富んだ人がいる。潜在エネルギーの問題である。
(『大和』)
安岡先生は、人格の原質の要諦は「気力」だという。
それは「必ずやり遂げる」「必ず実現する」という理想や志から湧き上がってくるのだという。
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この人格の原質の要たる「気力」を湧きあがらせる、「必ず成し遂げる」という理想や志こそ、知命・立命の「命」なのだろう。
人格の原質の第一たる「気力・精神力」は、命を成すための「情熱」をエネルギー源としているのかもしれない。気力・精神力を湧きあがらせる理想・志=知命・立命は己の中に「生命の火」を起こすハジマリのようです。
トートの話しと繋がるぜ~
ということで、人格を練る中で「外界からの圧力(影響)」は要らないと今は思うようになった。「外界の動向や構造、そこに在る法則」を知る必要はあるだろうけど、それの影響を受けない確固たる「私(人格)」を創ることが大事だもんね。
常に自分を中心におき、外界や大局を見ることが大事だもんね。
理不尽な力や納得できない力に負けないで、”真直ぐに立ち続ける私”を創りあげないと。
(つづく)