テレビ番組(主にバラエティ)などで、
武道家と弟子による「気で相手を飛ばす」実演みたことありますか?
私は何度か目にしたことあります。
弟子を飛ばした後に、タレントや芸人さんを相手にした時には「何も起きない」という検証結果付でみた時の記憶が鮮明に残っております。
カタカムナ・古事記の解読の途中ですが、更なる理解度を上げるためにも
合気道の祖・植芝盛平氏が見ていた「むすび合気」の世界をのぞいております。
植芝盛平氏ってこんな人
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私のおすすめな1冊は「こちら」
では、「気で相手を飛ばす」武道家の実演において弟子は飛ばされ、弟子以外のタレントさんや芸人さんたちは飛ばされないことがどうして起きるのか? 弟子たちによる演技なのか?とう疑念の真相を探ってまいりましょう。
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”合気=むすび ”の道
むすび(産巣日・産霊)の力・作用によって自然と合気の技が生成されるもの。
合気は「むすびの武術」であり、その力の根源に「魂のひれぶり」があり、「むすびの感覚」を得ることが重要となる。
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「むすびの感覚」を得るためには、相手・空間場・天地と同調した状態で稽古する必要がある。
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しかし!
こうした稽古を続けていると、稽古上の同調関係にある相手にはどんな技もかかる様(技がかかりやすい状態)になってしまうのだという。
TVなどで観る「気で相手を飛ばす」実演が師弟(+道場という場)では成功するのに対し、武道とも気の鍛錬とも無縁な人(芸人さんやタレントさん)だと失敗する原因はここにあるのようだ。
師と弟子の間では「相手との気のむすび(合気)」が起きているが、「気のむずび」を知らない人相手では「むすび」が起きておらず合気の技は使えないというわけ。
しかし、これは植芝盛平が説く「合気」ではないのです。
盛平が説く「合気」は、天地人の合一(むすび)があって、そこから相手・空間場との「むすび」が生まれ「全一」となり神の領域の現象・技が生まれるというものなのです。
上にあげた実演の例でいうと「師と弟子のむすび」も”本来のむすびではない”ということ。
『本来のむすび』でないとはどういうことか、というと。
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「虚」と「実」を混同してしまった為に生じたこと、だというのです。
合気の技は ”虚→惟神に→実の技が生成される”という流れ、
これに対し通常の武道では”魄の稽古(実)→実の技を体に覚えさせ発する”という流れ
。虚→実と実→実という違いがありますね。
次回はこの「虚」と「実」をもっと詳しく見ていきます~
(つづく)