武術と武道に大きな違いがあり、更に武道の中でも合気道はちょっと特殊なのです。
その前に~カタカムナで示された潜象カムの力と現象アマの力に関連して、意識ではなく「肉体にも潜在能力」があって、それを使いこなすための方法があるのではないか?と探索中
合気道というと「襲い掛かってくる相手の力を応用した護身術」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか? 私はこんなイメージでした(^^;
でも合気道の開祖・植芝盛平氏が説く「合気・合気道」とは、そういったものではないのです。本質はまったく別の領域にあるのです。
まず、武術と武道の違いから見てゆきましょう。
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武術・武道を知るには、まず「武」「術」「道」の意味から
- 「武」=強く勇ましい、戦いに関する技・力、軍事・戦力
- 「術」=手段、方法、手だて、技術
- 「道」=それによって人を一定の方向に導くもの、物の道理・理、道徳
ここから「言葉の重ね合わせ」が示す「武術」と「武道」の意味と違いを見てゆきます。
【武術とは】
武士として闘うために必要な技術、武芸(剣・弓・槍・馬など)
戦闘技術体系のこと、ですな。
【武道とは】
武士として常々なすべきこと=技の修練+心の修練(道徳)
武術の修練による心技一如により、心技体を一体として鍛え人格までも磨く修養の道
武道は武術を内包しており、更に「人の目指すべきあり方・生き方」までも含んでるのです。ただ敵・相手に勝つための攻撃・防御術ではないのです。
ここを踏まえて「一般的な武道」と「合気道」の違いを見てゆきましょう。
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「魄(はく)」と「魂(こん)」の違いを確認しましょう。
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「武道」はそもそも、この2つを鍛えるものですが方向が違うのです。
一般の武道は「魄の修練によって→魂も磨かれていく」という→方向性があり、
合気道は「魂の修練(覚醒)によって→魄の覚醒→身心覚醒の技の生成」となります。
合気道は「むすびの武術」であり、「むすびの道」なのです。
もっと言うと、合気道の「むすび」により生成される技の究極は、
相手と己をむすび 、相手の殺意・敵意ごと包み込み浄化(禊)するのです。
この辺のことは、これからじっくり見てゆきましょう(^^)
合気道の「合気」は「武産合気」なので「むすび」が重要。
「むすび」の感覚を得るには、相手(人・空間・場)と同調した状態で稽古する必要があります。この点が合気の神業への修練でもあり、外からみると「怪しく」見える点でもあるのです。”気で人をとばす”という武道家の実演って怪しく見えたりしてませんか?
(つづく)