偽造コインを探すが如し!
「論語を学ぶ」を読み進めていたら善悪のところにきて
「悪は刺激的・攻撃的である」という部分で安岡先生が男女関係に例えて
わかりやすく説明してくれておった!
ちょうど糞のような結婚相談所をつかっての結婚詐欺師の悪行を
テレビで観たばかりだったので
タイムリーすぎてびっくり!
安岡正篤先生が元気に生きていらっしゃるうちに
お会いしたかったなぁ・・・(--)
安岡先生のよると善悪については
不幸にして人間の世界には「悪」というものの
存在を免れることはできません。
人にとって悪の存在くらい大きな悩みはない。
と書かれています。
もう「在る」し 、それを無しにはできないようです。
たぶん、善と対なんだと思います。
悪があるからこそ善も存在しているし、
善があるからこそ悪も存在している。
悪とは何ぞや、善とは何ぞや・・は無意味
私はこういった根本が気になっちゃう人間なんですけど
安岡先生はこうおっしゃってるよ!
「悪とは何ぞや」
「善とは何ぞや」
という根本問題にまではいって
議論しておったのでは問題は解決しない。
また、そこまでする必要はない。
根本原因を探らんでいいの!?
と私は叫んだのですが
先生はこうおっしゃるのです。
それは丁度
重態の患者を前にして
そもそもこの病気の原因は何ぞやと言って
いろいろ調べるのと同じことである
(中略)・・・
やっと診断が決まったころには
患者が死んでしまう。
先に治療しておくれよ!
たしかに・・・。
大事なことは改善の方やね。
そもそも善悪は表裏一体、その時のより比重の大きい方が表になるだけ。
みんな自分の善悪のバランスを調整しながら生きているんだよね。
そんでできれば善多めに行きたいところだけど
悪は刺激が強く攻撃的で他への影響量も強いから厄介なのよ。
悪は刺激的・攻撃的である
悪というのは他への影響力が非常に強いのです。
それは悪が攻撃的で刺激的だから。
善と言うのは反省的で、凡人の常として引っ込み思案、傍観的になりやすい。
自分を調律しバランスをとるのだからそうだろう。
善というのは、特別なことでも凄いことでもなく
自然との調和なのだ。
善と反対に在る悪というのは
実に刺激的で攻撃的なのです。
何ごとに寄らず 攻撃的で人を責め、手ごわい相手ほどその攻撃力が強くなる。
どうしたってドラマチックなのです。
したがって悪の人に与える刺激は善のそれよりもはるかに強い!
悪を男女関係にとって考えてみるとよくわかる
よく男女のもめごとから発展した事件や
結婚詐欺とか保険詐欺などの事件のニュースに触れる度に
「なんでこんなやつに騙されるの?」
って思ったりしちゃうんですけど
その理由がわかったのです!
このブログにも書きましたが
先日、結婚相談所に登録して婚活女性から
お金を覚ましとる詐欺男のリアルな犯行手口をテレビでみた。
その時の私の率直な感想も
「なんで、こんなやつが7人もの婚活女性を騙せるんだ・・・・・」
というものでした。
安岡先生はこう書かれている。
男女共に善人というものは
内省的、含蓄的であるがゆえに刺激が少ない。
対して悪性の男女は非常に刺激が強いからである。
薬でも毒性の強いものは
刺激が強くて、一時的に効いたように思う。
なるほど刺激なのか。
恋愛や男女関係に少女漫画やドラマのような刺激を求める人ほど
悪い奴に捕まるようだ。
悪性男女は毒薬で劇薬・・中毒に注意
悪性の男女は刺激が強く劇悪な毒薬で
あなたにひと時の「いい気分」や「快楽」を見せながら
だんだn内側から蝕んでいく。。。。
一度強い刺激に慣れてしまうと
「もっと、もっと」とより強い刺激を求めるようになってしまう。
中毒に注意してください。
善人の男女は良薬に同じ
善人はじわじwほのぼの効いてくるってよ。
良薬はとっさに効くものではない。
長く服用する間に
好い気持ちに効いてくる。
善人の男女は両薬に同じ。
長く連れ添う間に
ほのぼのと嬉しくなってくるのだが
眼前の刹那的な刺激が少ない
一見すると刺激の強い
男女共に相手の気分をあげる人の方がモテるけど
良薬のようにじわじわと効いて
長年にわたり気持ちを穏やかに整えてくれるのは
やはり素劇の少ない善人なのですな。
一見すると「つまらない」と思ってしまう人ほど実は
善人で良薬で穏やかな日々を手だすけしてくれる人なのかもね。
愚かな善人
安岡先生は
「悪党の手にかかるというのは、善人であるが愚かだ」
ともおっしゃっておるよ。
刺激が強いというのは
「調律」「調和」に反しますからね。
一見すると「つまらない人」に見える人ほど
素晴らしい善人であり
学ぶところ、見習うべきところが多い人なのかもね。
今また新たに面白い本に出会い
夢中で読んでいる私です。
では、また~☆