安岡先生の本を読もう!と決めたが
まずは先生の本に精通している賢者が書かれたこちらを読んでおります。
そもそもは野村監督が影響を受けた人物・本として
その名をあげていたところから「安岡正篤」氏の存在を知った私です。
大人になって見渡せは「日本社会」もだいぶ変化し
日本人の和する心がだいぶ廃れてきたように感じ
私自身の心の芯柱なる部分がグラグラ~空洞化していた頃に
こちらの2冊を読んで心が救われたのであります。
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「論語に学ぶ」を読んで、その斬れ味の鋭さにビビったものです。
でも、この人は本物の賢者だと思った。
そこで今回、今度はもっと本腰いれて「安岡正篤」が説く世界に挑んでみようとおもったのです。
んで、どこから手をつけていいかわからなかったので
安岡正篤氏に精通し、安岡正篤研究家といっても過言ではない著者が書かれた
「安岡正篤 入門・案内書」でもあるこちらの本を読むことにした。
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安岡氏の言葉と共に神渡氏の解説が載っており
「なるほど」と、わかりやすく安岡氏の説く世界を見せてくれております。
そんな中、痛感したことが1つ。
安岡氏を師と仰ぎ、その言葉から学ぶには…私の日本語能力が低すぎるということ。
お恥ずかしながら、40代半ば~もはや初老ともいえる歳なのに
辞書(スマホや電子辞書を手元に置きながら)を引きながら
安岡氏の言葉を必死に咀嚼しております。
それに安岡氏が説く世界を深く理解するには
師が読んできた書物を私も熟読する必要があるな…とも感じており
自分の無知さを痛感するばかりです(;;)
それに「知ってるつもり」であった言葉でも
安岡氏が示しているその言葉の意味が違うということもしばしば。
あらためて「日本語の奥深さ」と「日本語の荘厳な構造」に圧倒された感じっす。
しかし面白いことに
安岡氏が説く世界の柱にあるものは
トートや古神道と同じ『核』なのです。
もっと言えば「カタカムナの示し」とも同じ。
と、いうことで「日本好き日本人」として
「日本魂」が躍動し始めた私です。