「今日」という日への意識がかわるかもしれない話。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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今日の言葉は(↑)で紹介している
安岡正篤 人間学 (講談社+α文庫)の中で安岡の言葉を紹介しながら著者の神渡良平氏が語った言葉です。
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「人生は習慣の織物だ」とはまさしく人生の心理だ。しつけとは良い習慣を培うことでもある。
(p192)
これは神渡氏が自己を振り返って、両親のしつけのおかげと感謝した言葉です。
安岡が高校時代にドイツ語の先先に言われた言葉
「明日やる、明日やるといって、明日になれば、また明日やる、まあ今日だけは、といつでも怠け者はいうものだ」
これに対しての神渡氏の感想・思いなのですが、「人生は習慣の織物だ」という言葉がとても深く心に刺さったんですよね(^^;
加えて、もう1つ
残念ながら、求道は日常の生活の工夫と精進にこそあるのだ、ということを見落としていた。
(p193)
この言葉も深く深く心に刺さりましたね。その通りだな、と。
求道というと山に入って滝行したり、お寺で座禅したり写経したり、ひとり静かに瞑想したりとどこか「日常から離れて」悟りを得る、というような印象はないだろうか?
神渡氏も若いころ道を求め山に入り滝行などをしたそうです。でも今にして思うと的外れだったと語り、それに続く言葉がこちら(↑)なのです。
『求道は日常の生活の工夫と精進にある』そして『人生は習慣の織物』ということを加えて考えると、『今日という日を如何に生きるか』がとても重要なんだな、と思えてきます。
「人生は一度きり」といいますが、「今日も一度きり」ですものね。
明日はまた別の一日なわけですから。
今日、日常にどんな工夫・変化を起こしましたか?
「今日はどんな一日にしよう!」と朝に意図しましたか?
明日は無い かもしれないとしたら、今日はどんな風に過ごしますか?
悔いなく、今日をめいっぱい生きる。
(つづく)