生れたがままに、ただ生きるのでは”動物としての人間”なだけらしい。
では人が「人間」たる所以とは何ぞや⁇
私が尊敬する偉人・賢人「安岡正篤氏」ってこんな人
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今日は安岡先生の教え・思想に通じ、安岡正篤関連書籍を何冊も執筆されている「神渡氏」の言葉を紹介したい。私の心に響いた言葉が「こちら」
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人生とは何か?
という問いに対する1つの解がここに示されている。
人生とは、学問や仕事や出会った人々を通して「自己内面の至上命令」を発見し、その実現に向けて努力することではなかろうか。
人生とは何か?に1つの答えを示してくれた後、神渡氏はこう話しを続ける。
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人間は生まれてきた時が「第一の誕生」であり、生物学的には「人間の子」だが、それだけでは まだ「真の人間の子」とはいえず、”本当の人間になるために” 真の人間たる目覚め(覚醒)の第二の誕生をむかえなければならない、という。
この第二の誕生こそ「天命に目覚める」ことなのです。
真の人間としての覚醒が「天命に目覚めること」というならば、
「真の人間=天命の実現者」ということですよね?
もっとシンプルにすると「真の人間=天命」ということになる。
それに「天命の実現者=天の使者」ってことになる。
私たちは「社会の潤滑な運営」の為にいきているのではなく
もっと壮大な使命をもって生み出された存在であり、我々がその天命に目覚めることを「善し」としない人たちが 覚醒を妨害しているのかもしれません。
我々が古代日本の叡智から切り離されているのも 覚醒妨害行為をしている者らの意図かではないだろうか。
「本当に価値あるモノ」について見直していくと、世界の見え方がグルッと変わってくるかもよ~
ここで、最後に「電力の鬼」といわれた男、松永安座左ェ門の言葉をどうぞ。
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『人が人に成る為には、闘病生活・投獄生活・浪人生活のどれか一つを超えなければならない』
この世に苦や思い通りにいかないことが在るのは、覚醒の為の機会であり「夜明け前」の状態なのかも。
たぶん、この3つの体験は己の心と気(力)を練る好機ではなかろうか。
孤独な闘いを征した時、人は大きく変容し「明」を得るのか。
(つづく)