私が尊敬する日本の偉人にして「哲人」安岡正篤氏ってこんな人
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では、本日は「知命・立命」が何たるかの理解が深まる、こちらの言葉に耳を傾けましょう。
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だいたいどんな哲学や科学でも、究め尽くしていくと、必ずそこに絶対的、必然的なものがある。そこでこれを「天命」という。
自然科学はこの天の「命」、即ち必然的、絶対的なものを、物の立場から研究、究尽していったものである。
哲学は哲学、宗教は宗教、それぞれの立場から天命を追求して、これが天命であるというものをいろいろ立てていく、これが「立命」である。
なんとなく「この世界は何の為にあるのか?」「この世界はどこに向かっているのか?」「この世界に働いている法則は何か?」「この世界を創造したのは誰か?」という疑問を抱いた時に「命を知る」道に足を踏み込んだって思うんだよね。
私の場合は好奇心のままに「科学」「哲学」「古代文明」「神話」の世界や「不思議体験談」を覗きまくっていたら、気がつけば”今ここ”に居る。
確かに安岡先生のおっしゃる通り、どこから進んでいっても「ある1つの道」に通じているというのは私も感じております。
天命というか、まずは「天意(この世界の方向性)」を知り、
そこに自分を融合させていくといった感じでしょうか?
”この世界そのものと呼吸を合わせる”
まずはここから、はじまるのかもなぁ。
「立命」に関して
著者の神渡氏はこんな風に言っております。
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人間、上等な人生を送るためにも、天や神に目覚める必要がある。
天命を知り(知命)、命を立てる(立命)ようになるとき、人間は自分一個の存在を超えた人生を歩むようになる。そこにはもはや「おれが、おれが」という自己主張もなく、責任を他人に転嫁することもない。
(p89より)
「天や神」でピンとこない場合は「上位意識」と言葉を変えて読むとわかりやすいかも。自分の視点を高く上げ、視野を広くしたら見えてくるのかもしれません。
「これが天命である」と思うモノを”いろいろ立てていく”
1つの絶対を探すのではなく、いろいろ立てていくことでわかってくるものらしい。
だから、まずは自分なりにいろいろ命を立てていけばいいと思うと一歩が踏み出しやすいね。
(つづく)