なるほどなぁ、この言葉が私に新しい扉を示してくれた。
私が尊敬する偉大な哲人・安岡正篤氏ってこんな人
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本日噛みしめたい「言葉」は、こちらです。
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「天に棄物なし」という名言がある。いわんや人間において棄人、棄てる人間なんているものではない。自分というものを知らないものだから、いわゆる心を尽くし、己を尽くさない。「命」を知らないものであるから、せっかくの人間に生れて一生を台無しにする。 (『知命と立命』)
昨今では「何者にもなれなかった自分」に悩む人が多いと聞く。
わかる、その気持ち。才能ある人や世界で活躍している人を見ると特に「自分」に対し
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を感じてしまうものさ~
しかし、
「天に棄物なし」いわんや人間をや!だと安岡先生はおっしゃるのです。
すべては意味があり天が創造されたモノ、とも捉えられる。
だとしたら「すべては神の完璧」なわけだから、個々に皆スペシャルな存在であろう。
まずは自分というモノを知り、その心の奥底にある「やりたいこと・やるべきこと」に向き合い「望むこと・望む世界の実現」についてとことん考えてみるのもいいかもしれない。
何者でもない自分を嘆くよりも、「自分は何者に成りたいのか」をよーく考えてみる。
もうとことん、混沌に次ぐ混沌から無になるまで考えてみる、そんな時間も人生には必要だよね。
不運や不幸続きに思える時も、「天に棄物なし」の言葉は光のヒビキになるかもしれない。中村天風氏や「気の呼吸」の遠藤氏も重い病に苦しんだ後、天意に目覚め、自分の命を知り、立命している。
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”随処に主となれば立処皆真なり”
「この世界(自分の世界)の主として立つ」ことをやめてはいけない。
脇役に徹してはいけない。
(つづく)