「何を成したか」で社会的評価が下される感が、
安岡先生は「そうではない」と教えてくれます。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤氏」ってこんな人
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今日の安岡先生のお言葉は、何度も何度も心の中で読んで 響かせてほしいお話っす。
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人間にとって根本のことは、われわれが何をなすかということではなく、なんであるかということを発見することである。これは東洋も西洋も同じことであって、西洋でも立派な哲学者はつとにこれを解明しておる。名高い言葉に、how to do good(いかに善を成すか)ということよりも、how to be good(いかに善であるか)ということのほうが大事だというのがある。人間の第一義はなにをなすかということではなく、なんであるかということである。
(『人間学のすすめ』)
「人間の第一義」=『人間の最も大切な根本的意義』、最上真理の道理
つまり、「何を成すか」を考える前に「自分は何であるか」を知る・自覚することが大事ってことですよね。それが、ブレない人生の芯柱になるからでしょう。
「何を成すか」→成したことに対する外(他者・社会)からの評価→「私の存在価値」
という流れは、とんでもなく本質・天命からずれているってことを教えてくれている。
この安岡先生の言葉を受け。神渡氏はこう語っている。
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誤ってはならないのは、人は社会的に何かを成したから偉いのではなく、その人に与えられている生命自体が尊いのだ。だから自分の生命の根源である「天」をどこまでも突めていくと、おのずから自分の生命に託されている「願い」に到達せざるをえない。
他人や社会からの評価より以前に、「今、ここに存在している」私やあなたという生命自体が そもそも尊い(尊い>偉い)というのです。
我々は天の命を受け、生を与えられているのですから。
ここで、日本神話のことが思い出されます。
我々の祖は神であり、我々日本人は皆 神の子としているのも
”「天命を受け、生を与えられたモノ」=天に生み出されたもの”
ってことを我々に自覚させようとしているのではないでしょうか。
安岡先生が紹介してくれた西洋哲学者の言葉がとてもわかりやすい。
”How to do good (如何に善を成すか)ではなく、how to be good(如何に善であるか)が大事!”
自分が何であるかを知り、天命を知り、命に目覚めた人というのは、「名をなそう」「名を知らしめよう」などという意識はなく、ただ黙々と命に向かって行動するので、そういった人のやる仕事は底光りするようになるんですって。
他人の中に自分があるのではなく、
自分が中心にあり天に向かって生きているんでしょうね。
「世界や社会や集団の中の一粒の存在」と自分を認識して生きるか、
「自分は天命を知り、命の実行者」と認識して生きるか、
それを決めるのは「私」なのです。
(つづく)