求める人に天は必要なモノを与えてくれるらしい。。。マジっすか
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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今回の安岡先生の言葉は前回(昨日)紹介した「大人は何を求め生きるのか」の続きに語られていたものです。
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天は別にこれがために「師友」という者を与える。
師友はわれわれにとって第二次の父母兄弟である。骨肉の親に対していえば、道の親である。それはわれわれの疲れ病む心意に尽きせぬ力と光とを与え、疑いと悩みとのほかない人生に意味と悦楽とを恵む者である。
(『東洋倫理概論』)
「師友」=道の親
天は道(真理)を求める者に「師友」を与えてくれる、のか…私にも与えてくれよ~
安岡先生の言葉に行き着いたことが…もしかして天の導き・恵みなのか?
「師友」とは、道を求め・命に生きる者にとっては「尽きない力と光」を与えてくれる存在でしかも『疑いと悩みとのほかない人生』に意味と悦楽を恵む者だって!?
ここで注目したいのは、安岡先生が そもそも人生は道も命も知らず・見えずの状態では
「疑いと悩みしかないもの」だといっている点です。
だた、前回からの先生の言葉は裏を返せは、
”我われ「人間」とは、道を求め師友と共に進む時に心の底から湧く「悦楽」を得られるように設定(設計)された生命である” ってことですよね。
一時的な「悦・楽」ではなく、どんどん大きくじんわり広がっていき常に心を満たしてくれる「根源からの悦楽」がここにあるのかも。
なんか、人間の設計構造の一端が見えた気がします。
(つづく)