「ドキッ」とした人、手をあげて~、私はドキッとした側の人間です。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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「イデオロギー」は塗替えが簡単な『看板』のようなもの、
それよりも「真理を生・活しなさい」という安岡先生の言葉には「つづき」がある。
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名を公共や大衆に借りて私憤を晴らしたり、私欲を遂げる癖を直そうではないか。
人間には四つの要素がある。徳性と知能、技能、および習慣である。徳性が本質で、知能や技能はいくら有用・有意義でも、属性的なものである。習慣は徳性と離すことができないもので、第二の天性といわれる。知も技もこれに結ばれなければ本物にはならない。習慣を軽んずるのは人間の破滅である。
(『百朝集』)
大きな存在(国や社会)を相手に、こっちも公共や大衆という「大きな名」を使って不平・不満・愚痴を言ってしまうこと…心当たりありまくる私です(グサッ)
私自身も私が「大きな名」を使って批判している「大きな存在」と同じ・もしくはよく似た存在というこなのかもしれない(超絶悲報)
的を射られて瀕死の私に、安岡先生は「では、いまからどう生きればいいか」を示し諭してくれている。「まずは己を正せ」と(たぶん、こういう指摘だと)。
人間には四つの要素がある⁉
『徳性』『知能』『技能』『習慣』
この中で現実社会・現象世界に直接作用する力が強いのは『知能・技能』のように思える。だが安岡先生は「徳性が本質で、徳性と習慣は一体だ」という。徳性が習慣を生むまたは大きく影響しているということだろう。
「徳性ー習慣」が柱となって「知能・技能」が活かされていくということなんだろう。
徳性は目に見えいし、コントロールできないが習慣は意図すれば変えられるなぁ。
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「習慣=第二の天性」ということは、己にある天性も自己の意図によってコントロールできるわけかぁ(これ、めっちゃ凄くない!?)
自分の習慣が今どんな状況か?
はっきりいってあんまり考えたことないし、把握していかなった私です。
やはり、心にグサッとくるね、先生の言葉(優しさも感じるけども)