今回は私にとっても現在の日本社会にとっても「ガツン」とくる話ではないか…と思われます。ガツンってか「ゴンッ」って感じか。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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今回はですね、安岡の言葉・教えを受けて、安岡を師と仰ぐ神渡氏の解説とその言葉に私は「ガツン」ときたんで、2人の言葉を紹介します。
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まずは安岡正篤の言葉
東洋政教の本義は民衆に対する論策よりもむしろ、常に為政者自身の心術修養を重んずるにある。『中庸』にも、「予明徳を懐う、声と色とを大にせず」という『詩経』の詞を引用して、民を化するにおいて、声色は未だと断言している。
(『新編経世瑣言』)
この安岡の言葉を神渡氏が咀嚼し、我々にわかりやすく教えてくれている。
その言葉が非常に印象深く私の心に残っているのです。
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東洋では修身・斉家・治国・平天下を一体のものとして説く。国民を如何に説得するかと策を弄する前に、上にたつ者がどうあるべきかを考えよと説く。
これは政治だけではなく、人間が集団をなし、組織をつくるところでは一様にいうことができる。結局、人望・人徳を磨かないかぎり、人を使って仕事をすることはできないのだ。欧米風のマネジメントが一時流行したものの、そのうちあるものは結局廃れてしまったのは、この面をないがしろにしたからだと思う。
日本経済というか一般日本国民生活は30年間停滞し、増税や謎多き政策ばかりで「暗い影」が闇となって社会を覆いはじめているようにも思える(;;)
私もこの魔のサイクルがはじまった転機に「欧米風マネジメント」や「謎のコンサル」の日本社会への大量流入・侵食であったんじゃないかと思っている。
上に立つ人たちが「儲け・数字・利益最優先」に走り、
”最大の経費は人件費、いかに人件費と削るか”に躍起になり、
労働者を如何に安く効率よく使うか?ばかりを考え実行した結果が
今の日本社会になっている。
人々は疲弊し、心は削られ、心に余裕はなく、モンスター客や社会いじめや各種ハラスメントに満ち溢れている…のではなかろうか。
社会の多くの人の心を削り奪った余裕の分の「豊かさ」はどこに流れているのでしょう?誰のふところを潤わせているのでしょう?
だが、日本の人々も「間違い」に気付きはじめている。
日本人が昔から大事にしてきたもののが壊されようとしていることに
心の奥底が叫びはじめているんじゃなかろうか。
血は水よりも濃い。
どんなに政治や土地にはいりこみ侵食・腐敗を謀っても
「真の日本人の血」に入り込み奪うことはできない。
自己を修めるところから、国の浄化(祓い・禊)が起こるのなら
「真の日本人の血」が教えてくれる 心の声に 「仁・儀・誠」を問い、従うことがはじまりになるね。
(つづく)