本日の話は「社会・国の根幹」基礎部分に関わる重要なことではなかと思う。
安岡先生の言葉は現代日本社会にズーンッと重く響くはず。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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「指導論」…声高に「~論」を唱える謎の学者・コメンテーター・専門家をテレビ等でよく見かけるようになった気がする。そこに本当の「実」はあるのか?
考えながら安岡先生の言葉をどうぞ
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近年社会問題を論ずるほどの人々は何かというと直ちに、指導論は何だ、政策はどうだねと尋ねる。気が利いたようで実は愚かなことだ。指導の力はそういう論理にあるのではなく、信念・情操・気魄にある。人格の英邁にある。操行の雄風にある。そこに輝く英知こそ、理屈屋の煩瑣な議論の思いも及ばぬ尊いものなのである。
(『新編経世瑣言』)
社会問題を論ずるほどの人々が、
直ちに「指導論は何だ」「政策はどうだ」と尋ねることの愚かさを
更にこう説明してくれている。
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「そのいわゆる指導理論の例を見れば、浅薄な概念の遊戯、形式理論の練習にすぎない。そんなもんで人間が救われるのなら、なにも親鸞ほどの人が南都北嶺の学匠たちと袂を分かちはしない。悩める衆生を指導する為に、彼は粉々たる理論を捨てたのだ」 (『新編経世瑣言』)
こう語る安岡氏が、社会問題の解決=より良い社会・国造りのために
「では我々はどうするべきか?」という問いにどんな答えを見つけたかというと
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人生の真理を求め西洋から東洋まであらゆる智にふれ、辿り着いた答えは
”政治も経済も社会問題もすべては「独りを慎む」ことから始まる”
社会・国の個々人たる一人一人が「己を修め」てこそ家が斉い、国が治まる。
そうして天下泰平の世が実現できるというわけなのです。
社会・国を成す個々人が「しっかり己を修め、家を修め」、
そういった人びとが社会・国の繁栄の意志をもって共に生きるからこそ
「泰平の世」は実現されるわけです。
本当に、個々人の心の豊かさというのがそのまま社会に反映されてるのかもしれません。社会の経済的豊かさというのは、実はどこか操作された幻想なのかも。
本当の豊かさとは「安心・信頼・希望」に満ちた状態にあるのではなかろうか。
国や社会の指導者たちが、雄弁・詭弁・饒舌に語る「理論」ではなく、
実際にその人が何を成したか、どういった働きをなしたかを見つめる目が大事。
本質は行動に出る。
”誰が何の為にどんな活動をして、何と繋がっているのか”
指導者たる人物の「信念・情操・気魄・人格」は如何なるものか?
まーまずは私が「己を修める」ことが大事ですけどね。
最近は日本民族・日本文化の存続の危機を感じさせるニュースや話題が多いですが
私は日本を愛する日本人達によってこの危機を乗り越え、日本文化の更なる繁栄を望むと同時に信じております。
(つづく)