資本主義vs共産主義という構図の世界に見えますが、結局はどちらも「同じ問題点」を抱え、人々はその「毒」に侵され狂っていくのかもしれません。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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「資本主義vs共産主義 」という世界的な対立構造に見えますが、安岡先生はどちらにも「同じ問題」があり、それが人々を歪め社会を狂わせるとし厳しく批判しております。
私は学生時代の教育のおかげで、なんとなく「資本主義が正しい」と思っていた無知無能ですが、やはり今の経済優先・金銭的価値がものをいう社会には疑問を抱くのです。
この私が抱く「モヤモヤ」に安岡先生はスパン!と社会が抱える問題点を示してくれました。
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世にいう資本主義的弊害というものは、あらゆる価値の基準を利己的・享楽的な金融的成功というべきものに置いたことです。そのために富める者よりもむしろ貧しい者に物質主義・利己主義を育てました。利益一点ばりの考え方を育てたのです。
(「朝の論語」より)
共産主義についての安岡先生の考えはどうだったかというと、
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安岡正篤は信念のある反共主義者だったが、資本主義も共産主義同様、利益一点かりの物質主義・利己主義に陥っていると強く批判する。共産主義を批判するのも、それが資本主義以上に物質主義であり、その物質主義・享楽主義によって人間の霊性をいっそう暗くしているからだという。
資本主義も共産主義も要は同じ「労働者の社会家畜化」に近いのではないだろうか?
適度に快楽と満足を与えられ、自分たちにも「権利」が与えられたような幻想を見せられ、その幻想に酔い「社会に飼いならされてしまう」っていう洗脳構造があるんじゃ…
確かに「利益一点ばりの考え方」を家畜化した民衆に植え付けているよなぁ…
共産主義の悪い点を「唯物史観」にあるとし、安岡先生はこう説明している。
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「(唯物主観は)歴史の過程を、人間の物質的・利己的動機に支配されて進んできたものと解釈し、人の世の中の一切の出来事を経済関係に帰し、割り切って説明した」
私が今 日本社会や世界に感じている「経済に支配されている」観は、この唯物史観による影響が大きいのだろうか…私も「毒穴」に堕ちているのか…
でも、私が今 社会に感じているモヤモヤは、先生が次の指摘にズバっと射抜かれた感じがしております。「そこだよ!」と。
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「人間万事経済関係によって決すると考えたら、それこそ人間の自由も価値も権威も何もないことになってしまい、人間は単なる物質的機械と化してしまう」
これだ! これが私のモヤモヤの正体だと思った。
だからこそ『人は環境に負けない自己の芯を持たねばならない』と先生はいう。
学び・修養によって「環境の主体者として生きていくことができる」と。
「人の強さ」とは私の想像以上なのかもしれない。
環境を嘆くばかりでは、己の人生を歩んでいるといえない状態かぁ…
環境の中のとるに足らない一人という意識で生きるのは虚しい、どうせなら自分を取り巻く環境の「御中主」でありたい、よね。
安岡先生に、内に抱える「モヤモヤ」をズバッと言語化して示し・説かれ、曇り眼鏡のレンズが透明度を取り戻しつつあります。
(つづく)