「命は数である」の真意とは?
「いのち は かず である」
じゃないよ!!
「命」=めい(ミコトの詔り に近い)
では「数・すう」はどんな意味を示しているのでしょうか?
今の日本の…政治の腐敗、法の番人たる組織の腐敗、日本の金に群がる外道たち…韓国・中国に乗っ取られ反日・日本衰退工作を進める日本のテレビ・広告・メディア業界…こうした状況に危機感を感じている「心ある日本人」は多いはず。
でも自分一人で何ができる?何をすればいいかわからない。。。という方も多いでしょう。私もそうだったから。そんな同志の方に読んで欲しい一冊がこちら
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安岡先先の本はどれも読む価値あり!ですが、日本の為に個々人がどう在るべきかを知るには、まずはこちらを。
では「人命」の話の続きへ
まずは「命(めい)」がなんたるかのおさらいから~
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つまり『人命』は「人の命(先天的な必然性・絶対性・至上性)」ってこと。
んで、安岡先生は、「人の命」の中にある、この”実に複雑微妙な因果関係”のことを『これを数(すう)という』とおっしゃっております。
この「数・すう」は「人命」に限らず、
”すべての実在の中に存在する複雑微妙極まりない因果関係”をいうらしいっす。
つまり、『命(めい)は数(すう)である』と。
「数」という漢字は「かず・かぞえる」というイメージの方が強いので、そもそもどんな意をあらわす字なのかを調べてみました。
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「個数を数える・個数を表す」意味のイメージが強かった「数」の字ですが、
どうやらそもそもの「数える」の意も神事や祭事における神降ろしの巫女が神(天地自然)とリズム(呼吸・波長)を合わせるために「周期(サイクル)」を掴むことに本質があるようです。
となると「数」が『道理・さだめ(運命)・神の謀(神の計画)』の意をあらわすのも納得できます。
んでこの「命は数である=命数」の極めて常識を超えたモノを『数奇・すうき』というんだそうです。
「数奇な運命」というと、どっちかというと悲劇的な展開を表す印象ありますが、そうではないようです。我々には理解しがたい「神の計画」が在る、ということでしょう。
逆にいうと我々が「当たり前」と思う流れこそ、神意の外側のどうでもいいことなのかも。
「数」という字が「道理・さだめ(運命)天意の計画」を指すならば、
そこには数理的法則性(秩序・周期)があるってのもうかがえますよね。
(つづく)