「運命」の意味をどのように捉えていますか?
古代日本の智や日本語の神秘構造や古神道の世界に触れ、
日本が好きで日本人であることを嬉しく思っている、私です。
でも今の日本状況に不安を感じている日本人は多いのではないでしょうか。
政治も 法の番人も 経済界の偉そうな人達も皆 「日本や日本国民」の方を向いておらず、他国の方ばかり向いてる気がしてなりません。金や利権のために売国奴・国賊 に堕ちた権力層がたくさんいるのではないか…
そんな中、「心ある日本人」我々は如何に在るべきか?
個人の力でどこまで、何ができるのか?
と考え身動き取れずにいる方々に是非とも読んで欲しい1冊が「こちら」
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「命・めい」を研究していくと見えてくる、
”命の中にある 複雑微妙な因果関係”
=すべての実在の中にある複雑微妙極まりなきな因果の関係
これを「数・すう」という。
ってところまで前回見てきました(‘v‘)
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故に「命(めい)は数(すう)である」と。
そして安岡先生はこの様におっしゃっております。
皆それぞれ独自の命数の下に生きている。
人生そのものが一つの命、その命は少しも停滞しない、動いて止まない。
光陰歳月と同じで動いて止まないから、これを「運命」という。
「人間、運命である」
と、力強く安岡先生はおしゃっている。
人の命=運命
ここで「人のイノチ」と「人のメイ」が1つに繋がるんじゃなかろうか。
「運命」だから、”どこまでも動いて止まない”が 「命は数である」故に自ずから法則(複雑微妙極まりない因果関係)というものを持っている。
動き続け、そこには数(すう)がある。
その中で生きる(生かされている)我々人間は機械的になればなるほど自主性・変化性のない生き物になる…つまり「運命に流される」「数に流される」人生になるというのです!
非常に怖い指摘ですが、これを逆に捉えると
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「命」を知り、そこに在る「数」を知ることができれば、
この世界にある必然的・絶対的なもの、
そこにある複雑微妙な因果関係=法則を掴み
それらに支配されないで生きることが可能ってことですよね。
例えば、日本に暮らしている我々は一年のサイクルに「四季」があることを知っている。だからその季節に合わせた快適な暮らしを手に入れられていますよね。
こういうこ風に 「この世界の流れ」を知ることで、流されずに「流れに乗り、その中で自分の快適を創造できる」ってことだとでしょう。
命を知り、数を知り、この世界の法則を掴み、世界の流れに流されない「自主性」を深めていくと「創造性」に到達するんだそうです。
なるほど…ここからが「私の人生・私の世界」のスタートになるわけですな。
(つづく)