ここからのトート学院の教えは急に難易度上がります。
生きながら死に、死にながら生きる??
トートは「汝ら、アメンティーの花=生命の花について学ぶ必要がある」と語り
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更に「汝、自ら”生命の花”の前に行き、その声を聞け」というんです。
「霊体になれ」ということなのか…「本質=霊魂」で飛べ!ということなのか。
とにかく、直接自分でその「光の中に生きる智恵を持ち帰らねばならないってことですよね。
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アメンティーのホールの「生命の花」ってのは「力の門」に繋がるのかなぁ。
神秘の力ってやつか?
その前に「生命の根源の間」に行くためには「死」を通らねばならないって
一度シぬか、仮死状態になるか、何とかして「魂=意識態」になれってことかのぉ~
肉体をもっては入れないのですな、次元が違うのかな
エネルギーの壁を超えられないのかな?
我々が思う「死」とはちょっと違うようなのです。
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『然り、死を通してなり』
『されど、汝らの知れる死に非ずして』
- 生命なる死
- 火なる死
- 光なる死
だと、トートは云っております。
生と死も一体になるということにも聞こえる。
真の生命に通じる死・火に成るための死・光になるための死ってのが在るのかも。
「界」を移動する為の「肉体の沈黙」なのかもしれない。
我々にはそう見えていないだけで、そもそも「生と死」は同じ~一体なのかも。
表裏一体なのかな。
(つづく)