もしかして、もしかして。。
古代の智を追い⇒古代日本の智を追い⇒日本語のヒビキの神秘構造に魅せられ⇒古事記の解読中
では、黄泉の国に渡ったイザナミ命の腐敗が進む御身体に湧き出ている八つの雷神の第八神「伏雷神」の御名の解読へ
足は「地のヒビキ・エネルギー」を吸い上げる根なのかも。
というのが私の当初の考察です。
この読みはそう外れていないと思われますが、実はもう一つ見えてきているビジョンがございます~
「右の足には伏雷(ふすいかづち)居り」
右(ミギ=ミ気)は「右手に土雷」とあるように、天地の地=土の力(地の造化の力)が強く関わっているように思えるのです。
土の造化の力=生命・現象化の力=顕現力(形色の顕われ)
エネルギーを凝集・凝固し「塊」とする力が強いはず。
そう思うと「伏す」の意味が非常に興味深く光ってくるのです。
- うつ伏せになる
- 上を下に向ける
- 身を隠す
- 潜む、隠れる
- 従う
なんとなく、1つの生命・現象=1つの生命体が 内向きに身を丸くして固まっていく様子が読み取れませんか?
「生命の本質」である『内界』を守る様に…背を丸めてエネルギーの外殻をつくり、他との境界の壁を作っていく姿が見えてきたのです。
左から湧く・左に受ける「潜象の根源力」を こうして右は「生命・現象が形を成し顕現化する為の力(作用)」を司っているのではないでしょうか。
更にもう1つ 今から奇怪な解釈を勝手に書き残しておきますね。
もう一度、両足に注目してこちらの八雷神の関係図をご覧ください。
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これを眺めながら私の内に湧きてきたイメージを言葉にすると
「足=立つ」ここに本質があると思っており、、
- 伏雷=重力の空間が押す力
- 鳴雷=地球の重力と私の引力のヒビキ合い(調和)
うまく言えませんが、故に(?)「伏雷=ダウンフォースみたいな力」とか「鳴雷=反重力みないた力」を(我々・生命・肉体は)錬成できるんじゃないか、と。
まー無知でおバカなBBAの妄想として読み流していただけると嬉しいです。
(つづく)