左手の手纏からの三神に続きまして~「右手の手纏」へ
古代の智、神聖幾何学などを調べるうちに~
「古代日本の智」や「日本語のヒビキの神秘構造」や「古神道の世界」に触れ~その世界の深層へ向かう好奇心が止められない、私です。
日本人なら、是非とも「古事記」と「己」の一対一の対決に挑んでほしいと心から思っております(面白いから)
では、解読の続きへ
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では~今度は「右手側」いくよ~
伊耶那伎大神が「投げ棄てた右の御手の手纏」から成った三神の第一神
「辺疎神(へざかるのかみ)」
この神名は何を示しているのか?
どうやら「辺」は「海(うみ・かい)の限り・果て」を示すようです。
「産み・生み+界」の限り・果てを。
これに「疎」が加わるということは…
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こういうことじゃないか、と。
はじめに「左」の「奥疎神」が生成の中心(根源~生命現象の核)から放たれる根源の力(造化の力・燠)が「広がる力(波動エネルギー)」となって現れ
その力が広がる限界まで到達すると、そこに「ヒビキの圏」が出来て
そこには生命・現象の潜象構造骨格(多角形・神聖幾何学立体)があり、
その圏の限り・果て=外殻なす「辺」で造化の力(ヒビキ)が
今度は「奥」に向かって返ってゆく…
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この「辺」から「奥」に還る・向かう造化の力の流れを「辺疎神」と表しているのではないか、と。それかこの流れを司る神ではないかと。
「左・奥」と「右・辺」の関係がだいぶわかってきたぞ。
カタカムナが説く通りなのかもしれない。
(つづく)