日本人なら「古事記」に一度ゆっくり挑んでみて欲しい。
きっと心の奥に響くものがあり、得るものがある。
では、解読の続きへ
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伊耶那伎大神が「投げ棄てた」⇒「右手の手纏(腕輪)」から成った三神の第二神
『辺津那芸佐毘古神(へつなぎさひこのかみ)』の神名の解読へ
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ちなみに「左手の手纏」から生まれた第二神がこちら
ということは「那芸佐毘古」の部分は共通で同意のはず。
「美しい調和を成す能力を秘めたサ声(造化の意志・意図)のヒビキ」
では、右手側「辺津(ヘツ)」はどうその力に関わってくるのか?
「辺・へ」=手許(てもと)、ほとり、海辺
「辺(漢字の示し)」=限り・果て、国境、多角形をとりまく線
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黒い線がつくる多角形=アマ(生命・現象)の潜象の骨格や外殻、
黒い線が創る多角形の圏内が、1つのアマ(宇宙、生命・現象)、
そして、その「辺」から放たれている「那芸佐毘古」の力は、アマの内側・外側に発せられ内界との調和、下界との調和を司る波動なんだろうと思われます。
我々も「右手の手許(掌)からこの調和の波動」を外に発しているのかも。
右手を胸に当て、強く願いを想い描いて念じると体全体から「その状態」との調和を招く波動がでるのかもよ~
右手で握手とかも「相手との調和」の接続になっているのかも。
(つづく)