ここが気になってずーっと考えていた私です。
「禍」の本質ってなんだろう?
「マガツ日神」の本質ってなんだろう?
「黄泉の国の穢れ」に触れ、身に受けた伊耶那伎大神が聖域の清流にて「洗い落した汚垢(けがれ)」から成った「二柱の禍津日神」、この「禍津・日神」とは具体的にどういった示しなのか?
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日本語はそもそも「音が先に在った」ことから、考えた結果
「まがつひ」=曲がつ日神(間力の日神)
という結論に達しました。
天神(特に別天津神)の意をアマ界において「実行・実現する」重要任務をになっているのが日神だと私は考えております。
まさに「カタカムナが示すアマ始源にして根源の力の変遷=ヒ」を司る神だと思うのです。
黄泉の国の穢れによって、そのアマ界における「日神の働き=生命・現象の生成化育の計画実行」を「曲げる日神」が生まれてしまった、という示しじゃないかと。
たぶん、別天の意による日神の働き(造化)というのは神聖幾何学などが示すように、数式のように美しく秩序だった調和の法則に従ったものだと思うのです。
でもそこに「歪み・不均衡・不調和・ゆらぎ」をもたらす「曲げつ日の力」が作用するようになった、と。
日神の放つ「光(神霊力)」を曲げる力がこの世界に齎されたということ。
故に我々の世界は「歪み」やすく、「不調和」を起こしやすいということかも。
神の意図とした計画に「バグ」「エラー」が発生するようになったし、生命・現象にも「バグ」や「エラー」が起こる様になったよ~と。
アマ界の「完全性」はここで壊れたのかも。
黄泉の国の穢れの影響が、アマ界(この世界=生命・現象界)に不調和と歪みと腐敗をもたらしました…って話か?
しかし、大自然(生命・現象)はこの「まがつ日神」の力に対抗する能力を齎されるのです。ここまでが別天の計画なのかも。
(つづく)