読書と運命…どんな繋がりがあるかというと
読書は「運命を拓く」道に通じるというのだ。
「運命を拓く」出逢いとなる本というのは安岡氏曰く「佳書」というもの。
基本的には「時代を経て長く人々に敬愛されている良書」を読むのが近道、
だけど私が思うに
”自分が興味ひかれた本は片っ端からどんどん読んでいく”
が一番良いんじゃないかなぁ~、と。
時に「つまらない本」とは「自分語りだけの内容薄い本」と思える本に出会ってしまうこともあるが、そんな出会いからも何らか私に変化をもたらしてくれるからだ。
「つまらない本(つまらない話をする人)」に出会った時、そこに在る可能性は2つ
- 作者・著者がバカか(知識・説明・文章力が低い)
- 読んでいる私がバカか(既知の知識が乏しい、読解力がない)
のどちらかなんだそうだ。これも安岡先生に学んだことの1つ。
この言葉を胸に、著者は何を想い・どこに情熱をもって「このことを」多くの人に伝えようと本にしたのかを考えるようになった。
そうすると色々なことが見えてきたりするもんなのだ。
本が売れなくたったと騒がれた時期に、ちょうど起業家ブームが重なった時
「本を出せばハクが付ます、信頼度・知名度があがります」とかいって
怪しい出版させますビジネスの人が動いていた頃のだと思うけど
表紙が著者の顔写真系の本とか切ないモノが多い。
真理に迫る智恵とか知識というのは
古代から不変というか一貫したものがあるので
やはり「長い時間」「時代」「歴史」という振るいに掛けられて
今も尚「名作・良書」といわれている本はできるだけ読んでおきたい。
たくさん、色々な本に触れたほうが「佳書」に出会った時の
衝撃や魂のゆさぶりはでかい予感がするんだよね~
ここで、以前も紹介したと思うが「読書」に関する言葉で
私が心に刻み込んだ 伝記作家・小島直記氏の言葉に関するこの一節をどうぞ
伝記作家の小島直記は、読書は「文字で心を洗い、心のノミで顔を彫る」方法だという。読書は筆者に対峙し、自分の骨力を養っていく方法なのだ。
良書に出会い、感動するまではいいが「己が中心性(主体性)」を失うほど
のみ込まれないようにご注意ください。
実は今「オアスペ」関連の本に興味が湧いている私です。
縄文の智関連の本ももっと読みたいし…徐々に手に入れて読んでいこう。
(つづく)