真の復興の為に、「堕落」の経緯と原因をしっかりと見つめる。
今の日本の政治も検察・法の裁きも経団連も色々な組織もみんな怪しい…正義も誠もなく日本人が裏切られ続けているのではないか、それが酷くなってきているのではないか。
そんな気がしている日本人は多いはず。
では、どうしたらいいのか?
「私個人に何ができるというのか」と悩み動けないでいる日本を愛する日本人の同志の方々に読んで欲しい1冊がある。
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日本の賢人・哲人「安岡正篤」先生が昭和36年に行なった3泊4日に及ぶ講演(研修)を今に伝えてくれる良書です。
「文明社会」「文明福祉国家」の堕落=人間の弱体化、大衆の白痴化まで見てきました。
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この「現代文明社会・福祉国家の堕落」=人間も国も弱体化させている、その根源に
「大衆社会化」というものがあるのです。
「大衆」と聞いて、「私もその中に含まれてる一員だ」と思った方は注意してください。
安岡先生は「インスタント社会により大衆の白痴化が進んでいる」と指摘し、大衆白痴呆化が恐ろしい勢いで進んでいることが分かる、その現れこそが「大衆社会」の台頭だとおっしゃっておられます。
「大衆社会」というのは、一見して「大衆が主役の社会」に思えますが…その実態は
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つまり、こういうこと
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「大衆の意見で社会が運営されている」ように思えますが
「私の意見」といった場合、そこには「確固たる個人の私」が存在しています。
しかし「大衆の意見」といった場合、そこに「何人の実在している個人がいるのか」不明なのです。その実態は「誰かが創った幻想」かもしれないのです。
つまり、我々が大衆と思い込んでいる「大勢の国民」を「大衆の意」という幻想(捏造)でいくらでも納得させ・誘導できるわけです。
これを支配といわず何と言えばいいのか?
恐ろしいのは「大衆」という幻想(意図された捏造)が力を持つことで、実際には「我々実体ある確固たる個人」が無力化、極端にいえば幻化されてしまうということです。
個人は全く尊重されない、個人が「大衆」に従わざるを得ない社会が「大衆社会」の真の姿なのではないでしょうか。
今、じっくりこのことについて考えてみることをオススメします。
(つづく)