「馬鹿殿様」といえば私世代はど真ん中で「志村けんのバカ殿さま」なのですが、
この言葉の意味をあなたはどう捉えていますか?
政治も経済も中枢にいる人間がどうやら「日本と日本国民」を犠牲に、己の私腹を肥やす為に 売国奴・国賊に成り下がってしまったようだ…と今の日本に絶望している「心ある日本人」の皆さんに読んで欲しい本がある。
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どんなに「政治家や経済人(=偉そうな少数人)」が腐っても、国の礎たる「国民」が腐ってはなりません、我々「心ある日本人」の皆が自主性・主体性・個性・創造性を取り戻し「美しい日本、日本人の日本国」を再起せねば。
その為の指針がこの本に示されております。
さて、今回は「真に生きる」「真のエリート」たる人物・人材となって日本の真復興に尽力できる私・我々となるために、また真理を掴む為に「言葉」の奥にある本質を捉えられるようになるために、本日は『馬鹿殿』という言葉を考察してみたいと思います。
「機」のヒビキを持つ「心に響く言葉」、「味わい深い言葉」の1つとして安岡先生は「馬鹿殿」という言葉をあげておられます。
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これから「真に生きる」我々にとって重要な言葉になると思われます。
さて「馬鹿殿」とはどういった人物を示しているのでしょうか?
「バカな殿様」ではない…ということで私の脳裏に思い浮かんだ言葉がこちら
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『馬鹿と利口は紙一重』
一見バカに見えて実に利口者の当主ということなのかな、と。
でも、この理解ではまだまだ甘かったのです。
安岡先生曰く「利口」とは、
「利口者」というのは、あらゆる意味で「計算ができる」者ってことなんでしょう。
その「計算できる」故に「ずる賢く保身や私利私欲に走る」ようになりやすいのかも。
「馬鹿殿」の「馬鹿」が示すのは、「利口と紙一重」なんて低いレベルのことではなく、孔子が云う『その知、及ぶべし。その愚、及ぶべからざるなり。』の方なのです。
つまり、周囲の誰もがその「利巧具合に気が付けない=我々の想像を超えた戦略と行動を成せる」人物のことを示す言葉のようなのです。
その人物が「当主」として手腕を振るってるわけです。
これが「国を治める」ものの真の姿らしいのです。
- 大勢の色々な人間を抱え(国民)
- 国民の生活を守る+組織の運営を成す
- 外には敵がいる(外圧)+内にはスパイがいる(内部侵略)
という状況にあって、国をしっかり守り治めるというのは「よほどの馬鹿」にならねばやっていけない、と。
ちなみに安岡先生がいう「馬鹿」とは、
ということなので、周囲からの評判を気にしているようでは到底 日本の真復興を成す「真のエリート」や「真に生きる」人物には成れないのです。
SNSで「周囲に認められる」ことがもてはやされたが故に承認欲求に突き動かされた愚者が溢れてた事実・現実がいい反実例かもしれません。