機を掴み、大きな改築・建築を成す為には
究極の理を得る「活きた学び」が必要だ、と示された。
今の日本は政治・経済の中枢にいる人たちが利権と金で私腹を肥やす為に、国と国民を裏切り 他国に日本を国民ごと差し出しているのではないだろうか…
一部の特権層による国民の奴隷化が酷過ぎる…我々は彼らの家畜ではない、主権もつ国民なのだ。
そんな腐りきった日本の権力層に対し、日本を愛す「心ある日本人」たる我々はどうしたらよいのだろうか? 強欲な豪力層に国民はどう立ち向かえるのだろうか?
目の前が真っ暗で、とるべき行動も進むべき道も見えない…って方に是非とも読んで欲しい1冊があります。
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腐りきった権力層により、どんどん「日本の文化・伝統・精神」が消されてゆき、国民は大衆化・白痴化され、日本国が衰退させられる中で 「心ある日本人」はどう在るべきかが説かれております。
では、前回からの続きへ
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「機縁に恵まれ、大きな改革・建築を成す為に、真理に通じる必要がある」
その真理に通じるために道が「活学」なのです。
ここまが前回の話です(^^;
んで、実際に1つの学び(知識)を色々な方面から自分で実証していく必要なあるわけですが、みんな今の日本で「生活していく(生きていく)為に精一杯」な状態の中でこんなに手間も時間もかかる「真理の学び」にどう取り組めばいいのか?って問題が立ちはだかりますよね。
全ての分野を隈なく研究して、全知全能の人物になる…には身は1つだし、1日は24時間しかないし、そのほとんどは「社会で生きてゆくため」の労働や家族や友人など大切な人達との共有時間でいっぱいいっぱい、、有限の存在が無限に挑むには「限界」がすぐに迫り来る状態ですよね。
その困難さは安岡先生ももちろん気づいており、そういった中で活学を続けてこられた実践者として、こんなアドバイスをくれております。
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他力の協力を得よ!
共同研究で進むのじゃ!
(一人で頑張るだけが能じゃないぜ~ってことね)
安岡先生が云いたいことの本質は「こっち」
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「うまく、善き相棒を見つけろ!」
これが活学の秘訣なんですって。
この「善き相棒」っていうのは、何も身近な友人・知人とかじゃなくていいのよ。
ぶっちゃけ今この世にいない人でもいいの。
”先賢・先哲が残してくれた書物を相棒にしてもいいのだ”
そう、安岡先生もいうてるし。
もちろん、今・同じ時代を生きる賢者や真の研究者の側で学ぶことが理想だけど、多様な分野の専門家とそうそう知りあえないし、そんな忙しい方々のお邪魔するのも気が引けるから…私は「先賢・先哲の力を借りる」ことが一番いいと思うっす。
理想論を饒舌に語り、いつでも合ってくれる暇があるのは「獲物を探している詐欺師」くらいだしね。本を出していても、テレビに出ていても謎の肩書の怪しい人って多いしね。だからこそ、長い時を懸けて、多くの時代を経て「認められている」先賢・先哲の書をまずは最初の相棒におすすめします。
安岡先生はこうもおっしゃっております。
刀を打つのも、餅をつくのも一人ではできない。
必ず相槌がいるのだ。
相棒は真剣に活学に打ち込めば必ず見つかるもの。
私もそんな気がしております。
間違いない本に出会うと、その先に「読むべき本」が自然と示され現れるのです。
先賢・先哲の書の力を借りれば、時間の壁(有限の限界)をぶち壊し、長い時を経た「智の蓄積」に触れられますしね。
有限の身で有限の中に居ながら、無限に挑み・欲しいモノを得られる気がしてきた。
(つづく)