「敬」が”人間らしい”人格を練るための源だとわかってきた。
安岡先生も「敬」を重んじている。それが何故かがだんだん見えてきた。
私が尊敬する賢人・哲人「安岡正篤」氏ってこんな人
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愛と敬、ともに「人として=人間らしい」人格を練る(築く)ための基礎にあると思う。 愛の重要性を叫ぶ人たちは大勢いるが、安岡先生や先哲の方々は「敬」を特に重んじている。
愛と敬について、こう説かれている。
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なかでも藤樹先生は特に敬というものを重んぜられた。愛は普遍的なもので、人間ほど発達してはおらぬが、動物も持っておる。しかし敬は「天地の為に心を立つ」という造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達してきた心である。
(「人間学のすすめ」)
「敬」の心は、人が「進歩向上しよう」とするところの生じるのだという。
人格を練る、人間らしい人格を練るために欠かせない「愛」とは、普遍的に備わっている「愛」に敬が練り込まれ「慈愛」になったもののことなのだ、と今わかった。
「敬」を通すこと、「敬」を練り込むことによって人間はそもそも持っている「野生の欲求」を「自己の生(生命)の繁栄」にだけ向けるのではなく、自己を拡大し他をとり込み、自分の内と外の調和・繁栄を願う尊いものへ昇華できるのかも。
そんな「敬の心=天命に向かっての向上心」の糧(エネルギー源)になるのが、「読書」だという。「心を照らす本を読むこと」「命に生きた偉人たちの伝記を読む」ことで、心に火を灯し さらにその志の炎を強火にしてくれるという。
私の理解はまだまだでしょうが、「なるほどなぁ」と思えたのは確かっす。
偉人の志や一生を読書によって共に体験することが大きな学びになるのだろう。
臨場感をもって読む時、それは自分の体験にとりこまれるのかもしれない。
(つづく)