プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【独女深夜映画部】「ウィッチ」中世絵画のような美少女~愛と信仰だけでは食ってはいけない現実

お題「最近見た映画」

f:id:mousoumajyo:20180904171617j:plain

イヒヒヒヒッ 半分聖人で半分ゲスなプロ独女みつまるです。

自分自身や世の中の半分のゲスい部分を否定して背を向け受け入れないと

こうなるで!!!!

という啓示ともいえる映画「ウィッチ」・・画がとてもキレイ(☆v☆)

 

 

めちゃくちゃ美少女!!!

しかも中世感満載の描写が素晴らしいっ

 

どこでとめても絵画のっようだぜっ

 

ウィッチ(字幕版)

 

ちなみにこのポスターを見て

この美少女のヌードを期待する方へ・・・そんなに期待しちゃダメ!

 


ウィッチ (字幕版) - 予告編

youtubeより予告動画

 

すぐ消えちゃうけど

弟サム(赤ちゃん)がめっちゃ天使っ

ただ・・・運命も含めて「ベイビー・オブ・マコン」の赤ちゃんに似ている・・。

 

ベイビー・オブ・マコン (字幕版)

 

ただマコンの方は悪魔ではなく

どこまでも人の欲望と狂気が絡まって暴走していくので

よりリアルにこの世界を風刺している。

 

※「ベイビー・オブ・マコン」はホラー映画好きでグロいシーンみながら食事もできる

私でも数日気分が悪くなるほど精神汚染がなかなかの作品なので見るなら覚悟を。

 

 

ということで

今日の映画部活動報告日記は映画「ウィッチ」いってみましょう!

 

 

熱心な信仰心で教会にも異議を唱え村を追いだされた一家の物語

 

信仰心が熱く、神を信じあがめるあまり

コミュニティを支配する「教会」に対して反発する父。

 

そんな父にくだされた教会裁判の判決は「追放」

 

村から追放されたことで

一家は森の側の荒れ地にひっそりと自給自足で暮らし始めます。

 

信仰心熱く厳格な父と母、

初潮を迎え大人になりつつある長女トマシン(とにかく働き者)

家族思い、姉思いの長男ケイレブ

野性児のような幼い双子の男児と女児

赤ちゃんのサム。

 

7人だけのコミュニティ。

作物はうまく育たず、

父が仕掛ける罠に獲物はかからず、

銃を構えるも暴発して転げまわる父。

 

圧倒的に貧しく、コミュニティを追い出された孤独感の中で

信仰だけが頼りの一家が

その信仰への盲信故に現実では壊れていく様を描いた映画となっています。

 

 

誰も悪くないけど恐怖心や不安で崩壊していく家族

 

この家族の悲しい崩壊の原因は「貧しさ」。

 

「村」というコミュニティを追放されたことで

小さいながらも流れがあった経済圏からはじかれたこと。

 

貧しさ・不安・恐怖・内包された怒りがふつふつとし

増大し、最後には家族内に「悪」をつくり出すことでしか

精神を保てないような状態に・・・。

 

悪魔を出し抜け!

 

 

魔女や黒ヤギの介入はありましたが

基本的にはこのナポレオン・ヒルの本の中でも語られているように

悪魔は人の意識に働きかけて支配していくんですよね。

 

「貧しさ」が一番よく使う悪魔の道具なんだとか・・。

「貧しさ」によって不安や危機感の念か強くなると

思考力が低下するので支配しやすいんだって。

 

 

そうなんですよ、

家族内に悪人はひとりもいないのに

「誰かこの中にこの不幸の元凶がいると思わないと

もうやっていけない!」

という思考になってしまう・・この一家。

 

 

父と息子、母と娘、親と子の原罪的葛藤のような意識

 

父と息子は家族の前から消えてしまった赤ちゃんサムの原罪について話し、

また男として家族を養うこと、背負うことについて問答する。

 

母と娘の関係もサムが消えたことで、どんどん歪んでいってしまう。

はじめはサムから目を離した長女への怒りだったけど・・・、

貧しく色あせていく生活の中で、長女だけが神秘的な美しさを纏ながら

大人の女に成長していくことへの母親のとしての嫉妬も膨らんでいく。

 

この一家7人だけのコミュニティにおいて

親は子にとって君主で神のような存在だった。

 

 

社会の中でうまく立ち回れないし、

作物を育てることも狩りもうまくできない

巻き割しか能の無い父。

父もそこに気が付いているからこそ

盲信し、厳格な父であろうとしていた。

 

 

この男と結婚したことを

「間違いだった」と認めたくなくて

必死に男と子を作り

子供達の存在で母としての自分に存在価値と

この結婚の正当性を見出していた母。

 

赤ちゃんのサムが消えて

ちょっとずつ信じていたものが崩れ始め

母親の長女への嫌悪と魔女疑惑が膨らんでいくと

そのゆらぎに家族がどんどん飲み込まれていく。

 

 

家族の中で「家族を信じる」事が消えた時

悪魔が一気にたたみかけてくる。

 

 

愛と信仰だけでは食ってはいけない現実~半善半悪の人を愛せよ

 

どんなに神を熱心に崇めようが

どんなに愛を信じようが

私たちは「思う」だけでは食っていけないのである。

 

作物を育てるなら作物を育てるための知識と経験が、

狩りをするなら獲物となる動物の習性や狩りのテクニックの習得が、

コミュニティの中で豊かに生きていくにはコミュニケーション能力が

必要なのである。

 

これは私の勝手な思いですが、

神というのは「救い」を求める対象ではなく

「今日という日を生きられたこと」の感謝を伝える存在だと思っている。

 

私だって今までたくさん神にお願いしてきたが

神頼みだけで「幸運としかいいようがない」っていう救いにあったことがないから。

 

天を仰いで乞うのではなく

向き合うべきはどこまでも自分以外の人間なんだろう。

完全なる善としての神でもなく

完全なる悪としての悪魔でもなく

我々が心を向けるべきは半善半悪のすべての他人なんだと思う。

 

社会の中、コミュニティの一員として生きていかねばんらないからね。

 

 

世の中のすべての人間がもともとは

半分は神のように善であり

半分は悪魔のように悪であり

必死にバランスをとって日々頑張っていると思うと

愛をもって、共感をもって向き合えるというコツを最近得た私です。

 

 

魔女狩り時代の魔女について

 

ウィッチ [Blu-ray]

この美少女が魔女になるまでのお話ですが

魔女って悪魔信仰なの?!

 

 

古代科学(薬草学・天文学・物理学・錬金術)などに精通していた

博識で好奇心旺盛な女性達と

カルト系の悪魔信仰で儀式的な行為をする女性たちが

混同されごっちゃに誤解され認識されたのかな?と私は思っています。

 

 

もともと昔って知の探究とか知識をつけることを

教会によって押さえつけられていたせいもあって

影に隠れては実験したり知識を共有してたのかも。

 

 

この映画で描かれている

魔女の集会シーンですが森の奥に集まり火を囲み

みな全裸でトランス状態だったり恍惚の表情だったり

宙に浮いていたりします。

 

森という場所、

深夜という時間

火を焚いているという事

樹の太い枝を抱き込んでいる女性

 

神経系に作用する幻覚効果のある植物を火であぶり

煙として吸うことで

集団で覚せい剤やっているような状況なんじゃないかなぁ。

 

あと夜の暗闇と静寂の中で1つの炎を囲むのって

集団催眠にもってこいなんですよね。

 

だからね、

やっぱり「集団でとぶ」方法も科学的だと思うんですよね、私。

 

ただこの映画の魔女たちは

赤ちゃんの血肉をすりつぶして体に塗りたくったり

悪魔に魅せられてはいるようでした。

 

人は何かを信じて、どこか狂わないと生きていけないのかもしれない。

 

今、好きなだけ本を読んだり

知識を積んだり

興味あることに取り組める

幸せをかみしめようと思います。

 

 

家族って・・・救いだけど・・・重いね。

 

 

では、では、なかなかヘビーな映画を見て3連休スタートしたプロ独女でした。

 

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村